*** 「言葉の由来 辞典」  あ行 ***

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  *** あ ***

 ◆ 合鴨(あいがも)
 野生のマガモとアヒルの交雑交配種のこと。特に、アオクビアヒルとの一代雑種は、合鴨農法で知られる。
 古くは、カモは冬の渡り鳥で、そのカモのいない時期に代用にしたアヒルを、「合間の鴨」の意で「合鴨」と呼んでいたもの。「間鴨」とも書く。
 ◆ 愛嬌(あいきょう)
 にこやかで、かわいらしいこと。ひょうきんで、憎めない表情・しぐさ。
 仏教に由来する言葉で、仏様の顔だちがおだやかで恵み深いことを表し、だれからも愛され敬われる顔や表情にいったもの。 「あいきょう」と清音で読むようになったのは江戸時代に入ってからで、本来は「愛敬」と書いて「あいぎょう」と読んでいた。
 ◆ 匕首(あいくち)
 つばのない短刀。懐刀。
 元々は「合口」。つばがないから柄(つか)の口と鞘(さや)の口がぴったり合う意味から来ている。 匕首という字は、中国で短刀を意味する匕首(ひしゅ)から漢字をあてたといわれている。
 ◆ 合言葉(あいことば)
 仲間内で用いられる言葉の合図の一種で、互いが仲間であると認証するために、前もって問答を定めておいた言葉のこと。また、標準、モットーの意味でも用いる。合い言葉とも。 もとは戦場で、敵と味方を区別するために用いられていたもの。
 日本では、「山」と問われたら、「川」と答える合言葉が有名。
 ◆ 挨拶(あいさつ)
 「挨」は「強く背中を打って後ろから押しのける」という意味。
 「拶」は「大勢が押し合って進む」という事。 つまり、「あいさつ」は「大勢の人を押し分けて前に進む事」。 それが禅宗の問答で門下の僧の悟りの深さを試す言葉として使われるようになり、やがて「相手の様子をうかがう」という現在のような意味になった。
 ◆ 愛着(あいちゃく)
 慣れ親しんだ物事に深く心を引かれ、離れがたく感じること。
 もとは仏教語で、「あいじゃく」と読み、愛情に執着すること、また、人や物に心がとらわれて思い切れないことをいう。
 ◆ 相づち(あいづち)
 会話中に、相手の話などに調子を合わせて言うちょっとした言葉のこと。
 漢字で書くと「相槌」。建築用の大きな木槌(きづち)を交互に焼いた鉄を槌で打つことを「相づち」または「相づちを打つ」といった。 そこから転じて、相手の話の調子に合わせて、同意を表す言葉をはさむ事を言う。
 ◆ あいにく
 生憎。期待や目的にそぐわないさま。
 語源は「あやにく」で、これは「ああ憎い」という意味。それが転じて、憎たらしいほど間が悪い事をこう表現するようになった。
 ◆ 合いの手を入れる
 歌や踊りに合わせて手拍子を打ったり、掛け声をかけること。また、人との会話で、相手の話を促したり、うまく話題を展開したりするために、言葉を挟むこと。
 本来は、「合いの手」は邦楽で唄と唄の間に三味線などの楽器だけで演奏される短い部分のこと。「合い」は間、「手」は楽曲、調べのこと。
 ◆ 相棒(あいぼう)
 仕事などを一緒にする仲間のこと。
 江戸時代に駕籠(かご)を棒で担ぐとき、お互いに「相棒」と呼んでいたことに由来する。 ちなみに、棒の片方を担ぐ者を「片棒」、棒の先を担ぐ者を「先棒」、後ろを担ぐ者を「後棒」という。 相棒はよい意味で用いられることが多いが、片棒、先棒、後棒は悪事に加担する者や人の手先など、悪い意味で用いることが多い。
 ◆ 阿吽(あうん)
 一般に吐く息と吸う息を表す言葉。
 サンスクリット語の悉曇(しったん)の字母の初韻の「阿(a)」と終韻の「吽(hum)」を組み合わせたもで、最初と最後を意味する。 さらに、阿は万物の根源、吽は一切が帰着する智徳を意味し、密教の宇宙観を表している。 また、阿が呼気で、吽が吸気であることから、両者の息が合う事を「阿吽の呼吸」という。
 ◆ 青息吐息(あおいきといき)
 非常に困ったときや、苦しいときに弱った様子で吐くため息のこと。また、そういう様子。
 「青息」は苦しいときの息で、青ざめて息を吐くからの例え。また、大息(おおいき)が転じたものともされる。 「吐息」はため息で、「吐」は音読み。「息」の熟語を繰り返すことで語調を整え、意味を強めたもの。
 ◆ 青写真を描く(あおじゃしんをえがく)
 将来の展望や計画をたてること。
 「青写真」は、青地に白く図形や文字が表される写真で、材料が安価なため、図面をコピーする技術として普及し、建築や工作などの設計図としてよく用いられた。 その用途から転じて、計画の意味が生じた。
 ◆ 青田買い(あおたがい)
 企業が、優秀な新卒学生の確保を図るために、他社に先駆けて採用活動を実施すること。
 稲の収穫前に、田がまだ青々としている時期に、その田の収穫量を見越して先買いすることで、転じて、企業が人材確保のため、卒業予定の学生の採用を早くから内定することを指す。
 ◆ 青二才(あおにさい)
 経験の浅い年若い男。あざけりや謙遜の気持ちを込めていう。
 「青」は未熟の意。「二才」は若者の意の「新背」が変化したもの。
 ◆ 赤い糸
 将来結婚する2人を結んでいるという、目に見えない運命。
 中国の伝奇小説「続妖怪録」に由来する。  幼少時に両親を亡くした未婚の若者が、旅の途中で月明かりの下で袋にもたれかかって本を読んでいる老人と出会う。老人は袋の中の赤い縄を見せて、これで男女の足をつなぐと2人は必ず結婚するといい、相手を予言したところ、その通りになったという。 結婚の仲人を「月下老人」と呼ぶのもここから来ている。
 ◆ 垢抜ける(あかぬける)
 不用なものや不純なものを省いて、より優れたものへと磨き上げること。
 垢が抜けてさっぱりとする意味から、気がきいている・洗練されている人物を形表す。 また、「あか」は「垢」ではなく「灰汁(あく)」のことで、灰汁の強い野菜などの灰汁抜きの音が転じたものとも言う。
 ◆ 赤の他人(あかのたにん)
 全く縁もゆかりもない他人。完全に無関係な人。
 「赤」は、本来は「閼伽」と書き、もともと仏前に供える浄水の意味するサンスクリット語の「アルガ」が語源。 水が冷たいように他人にも冷たいという事で、縁のゆかりもない人の事を「赤の他人」と呼ぶようになった。
 ◆ あくせくする
 心にゆとりがなく、目先のことにとらわれてせわしなく事を行うこと。
 「あくせく」は漢字で「齷齪」と書く。 本来は漢語で「あくさく」と読み、歯と歯の間が狭いという意味。そこから転じて、心の狭いさま、わずかなことにかかずらうさまを表すようになった。
 ◆ 悪玉(あくだま)
 悪人のこと。また、芝居の中での悪役のこと。
 江戸時代、草双紙の挿絵で、丸の中に悪と書いて、悪人の顔としたことから、悪人のことを「悪玉」というようになったもの。 反対は「善玉」で、同じように丸の中に善と書いて、善人の顔としたことから、善人のことをいう。 「玉」は魂の意で、人の心には善と悪の2つがあるとする心学が影響しているものと思われる。
 ◆ 顎足つき(あごあしつき)
 飲食費や交通費が相手持ちであること。
 「顎」は物を食べてかむ所であることから、食事を意味する。「足」は「足代」の略で、交通費の意味。もとは寄席芸人の間で用いられた隠語だった。
 ◆ あこぎ
 際限なくむさぼること。あつかましいさま。
 今の三重県津市に位置する阿漕ヶ浦(あこぎがうら)の略。 古くは伊勢神宮の御領で禁漁区だったが、密漁者が絶えなかったため、密漁もたび重なると勘弁しないぞ、という意味から、悪事を重ねることを「阿漕」というようになった。
 ◆ 朝っぱら(あさっぱら)
 早朝を強調していう語。ふつう、もっと遅く起こるべき事柄が朝早く起こってしまった、というような非難めいた意味合いで用いる。
 「あさはら(朝腹)」が変化したもので、もとは朝食前の空腹の意味。 室町時代から用いられ、江戸時代になると、早朝や朝食前の空腹をしのぐためのちょっとした食べ物、さらに転じて、容易なことの意味で用いられるようになった。 いわゆる「朝飯前」と同じ。 現在では、早朝の意味だけが残って使われている。
 ◆ 足を洗う
 悪事や悪行を止め、正業につくことや堅気になることを「足を洗う」といいますが、なぜ足を「洗う」と表現されるのでしょう?
 実はこれは、仏教から出た言葉です。
 裸足で修行に歩いた僧は、寺に帰ると、俗界の煩悩を足を洗うことで清めてから仏業に入ったそうです。
 このことから、「悪事から抜け出す」という意味に転じたそうです。
 ◆ 東屋(あずまや)
 庭園や公園内に、休憩や展望のために設けられた、簡単な造りの小さな建物のこと。四隅に柱を立て、屋根を方形に葺いた簡素なもので、ふつう壁のないものが多い。
 「東(あずま)」とは東国のことで、京都から東に遠く離れたへんぴな田舎であったことから、「東屋」とは田舎の、あるいは田舎風の家を意味する。 屋根のひさしが四方に垂れることから「四阿」とも書く。「阿」とはひさしのこと。
 ◆ 当たり前
 そうあるべきこと。当然であること。ふつうであること。
 かつて、共同で鳥獣や魚、穀物などを得たときの、一人当たりの分け前を「当たり前」といい、それを受け取るのは当然であることから意味が転じたとされている。
 ◆ 当たりめ(あたりめ)
 するめのこと。
 「するめ」の「する」が、金の損失や興行の失敗を意味する「磨る」と同音のため、商家や芸能の世界で忌み言葉として避けられた。 その代わりに、「する」と反対の意味で「当たり」に言い換えて「当たりめ」といったのがはじまり。
 ◆ 圧巻
 中国の故事「諸巻を圧倒す」からきたことばで、書物、催し物、物事などの中で最も優れている部分のことを意味する。
 「巻」は試験の答案のことで、唐から清朝時代にかけて行われた科挙(かきょ)(官史登用試験) の最優秀の答案を一番上に乗せたことから、他を圧して最も優れたものを「圧巻」というようになった。
 ◆ 後釜に座る(あとがまにすわる)
 前任者の代わりにその地位につくこと。
 先の釜を下ろして、かまどの火種がまた消えないうちに、次の釜をのせることからのたとえで、抜け目がないという批判的な意味合いを含むことが多い。「後釜に納まる」ともいう。
 ◆ 後の祭り
 時期に間に合わないこと。手遅れ。
 祭りが終わると神輿や山車はもう用がなくなることからたとえていうもの。 また一説には、祭礼が終わった翌日に、神饌(しんせん)を下げて、それをいただく宴会のことを「後の祭り」といったことからともいう。
 ◆ あなた
 特定の人物を直接呼ぶ際に用いる人称名詞。また、指示語の一つで、彼方の対義語。
 江戸時代に、夫と離れた場所で暮らす妻たちが、夫を「遠くの方」との意味で「あなた」と呼び始め、それが次第に夫を目の前にして呼ぶ際にも用い始めたとされる。 江戸時代中期にはこれが定着し、夫婦が互いに呼び合うとき夫は妻を「そもじ」、妻は夫を「あなた」と用いている。
 ◆ あばずれ
 品行の悪いさまを表す。転じて性的に乱れている等の意味でも用いられる場合がある。
 浮ついた様子を意味する「淡(あわ)し」が重なった「あわあわし」が、世間にもまれてずる賢くなった意味が加わり「あわすれる」に変化し、更にそれが「あばずれ」に変わった。 他に、「暴れ者」などの「暴(あば)」に、「世間擦れ」との意味で「擦る(する)」の連用形がついてできたとする説や、中国語で年老いた女性をいう「阿婆」に「すれかれし」の「すれ」がついたものとする説もある。
 ◆ あばた
 あばたとは、天然痘が治った後、皮膚に残る小さなくぼみのこと。
 「あばた」の語源は、サンスクリットで「かさぶた」を意味する「arbuda(アルブタ)」とされる。 仏教で説かれる八寒地獄の1つに、「安頁」浮陀(あぶだ)地獄といわれるものがあり、嘘をついたり悪口を言ったり、聖者を軽蔑する言葉を吐いた者が落ちるとされ、厳寒のためここへ落ちると全身に水疱が生じると言われる。 そこから、天然痘が治った後に顔に残る小さなくぼみを僧侶の間の隠語で「あばた」と呼ぶようになり、それが一般にも広まったといわれている。
 ◆ あばよ
 さようならの意で、ぞんざいな言い方。
 「さらば」をまねた幼児語「あば」「あばあば」の「あば」に終助詞「よ」がついたものとされる。 語源としては他にも、「さあらばよ」「さらばよ」が略されたとする説、また逢おうの意の「また逢はばや」からとする説、健康に過ごしてくださいの意でいう「案配よう」の略とする説などもある。
 ◆ 虻蜂取らず(あぶはちとらず)
 二つのものを同時に取ろうとしてどちらも取り逃がしてしまうこと。欲を出しすぎると失敗することのたとえ。
 クモが巣にかかった虻と蜂の両方を同時に捕らえようとして、結局どちらも取り逃がしてしまったという話から。原形は「虻も取らず蜂も取らず」で、それが簡略化されて「虻蜂取らず」となった。
 ◆ 油を売る
 江戸時代の「油売り」からでた言葉で仕事を途中でなまけ、むだ話などをして時間をつぶすこと。
 当時、行灯(あんどん)の油は升で量り売りをしていたので、油売りは油のしずくが切れるまで、客と世間話をしながら待っていた。
 その様子が怠けているように見えたことからきた。
 また、小間物屋が女性を相手に髪の油を売る時も同様で、世間話をしながら商売をした。
 ◆ 安倍川餅(あべかわもち)
 焼いた餅を湯にひたして、砂糖入りのきな粉をまぶしたもの。
 安倍川とは静岡県中部を流れる川のこと。江戸時代、安倍川付近の茶店で東海道を行き来する旅人に売られたことからの命名とされる。 一説には、徳川家康に献上したときに、名を尋ねられ、「安倍川に流れる金の粉をすくい上げ、まぶして作るので金な粉餅という」と答えたところ、喜んだ家康から「安倍川餅」の名をもらったとも伝えられている。
 ◆ 数多(あまた)
 数量の多いさま。たくさん。
 「あまた」の「あま」は、「あまる(余る)」「あまねく「遍く」」などの語幹と同様に、ものが豊富にゆきわたる意で、それに接尾語「た」がついて「あまた」となったもの。 もとは程度の甚だしいさまの意もあったが、次第に数量についてのみ用いられるようになり、少ない場合は5、6を示したが、時代が下がるにつれて、数えきれないほどの数量を示すようになった。
 ◆ 天邪鬼(あまのじゃく)
 人の言うことに逆らうひねくれ者、へそまがりのこと。
 『古事記』『日本書紀』に出てくる、「天探女(あまのさぐめ)」に由来し、「あまのさぐめ」がなまって「あまのじゃく」へと変化したとされる。 天探女は、「人の心を見計らって悪戯をしかける子鬼」とされることから、転じて、現代では「他者(多数派)の思想・言動を確認したうえで、あえてこれに逆らうような言動をするひねくれ者やつむじ曲がり、また、本心に素直になれず、周囲と反発する人、またはそのような言動を指して、「あまのじゃく(な人)」と呼ばれるようになった。
 ◆ あみだくじ
 線のはしに当たりはずれなどを書いて隠し、各自が引き当てるくじのこと。
 現在は、平行線の間に横線を入れ、はしご状にすることが多い。 あみだを漢字で書けば 「阿弥陀」。仏教の阿弥陀仏のこと。阿弥陀仏の像の光背は放射状の形になっており、そこから、放射状に線を引いて作られるくじを 「あみだくじ」 と言うようになった。
 ◆ 荒巻(あらまき)
 内蔵を取り除き、そこに塩を詰めて作った甘塩の鮭のこと。北海道の名産。
 もとは、鮭を荒縄で巻いたところからいうもの。 その年に捕れた新しい鮭で作ることから、「新巻」とも書く。
 ◆ あられもない
 姿や態度がだらしなく乱れていること。特に女性についていう。
 そうあってはならない意の「あられぬ」の「ぬ」の代わりに、助詞「も」と形容詞の「ない」がついて一語化したもので、本来の意味は、あり得るはずがない、ありえない、とんでもないこと。
 ◆ ありがとう
 感謝の意を表す言葉。
 形容詞「有り難い」の連用形「有り難く」がウ音便化した語。 「有り難い」は存在することが難しいの意。めったにないことから、またとなく尊い、おそれ多いの意味となり、また、人の好意や喜ばしいことに対して、めったにないことと感謝する気持ちを表す言葉となった。
 ◆ あんこ型
 力士の丸々と太った体型のことで、「あんこう型」ともいう。
 由来は、体型が魚の「鮟鱇(あんこう)」に似ていることにちなむ。 反対のやせた体型は「ソップ型」と呼ばれるが、「ソップ(sop)」はオランダ語でスープのことで、スープに使用される鶏ガラにたとえていうもの。
 ◆ 安心
 心配がなくなって、心が落ち着くこと。
 「安心」は、仏教では「あんじん」とも読み、仏法によって得た深い心の安らぎや、動ずることのない確かな境地に達することをいう。恐ろしさから逃れ、迷いを断つことができれば、心の安らぎを得て主体性を確立できるという意味。
 ◆ 塩梅(あんばい)
 物事の具合や様子のこと。また、天気や健康の状態についてのこと。
 塩梅とは、本来は塩と梅酢のこと。それが味付けの基本であることから、料理の味加減を調えること、また、その味加減の意味となり、「料理の塩梅が上手だ」のように用いられた。そこから、物事の具合や様子の意味に転じたもの。
 ◆ あんぽんたん
 江戸時代から使われている言葉。
 「あほう(阿呆)」から転じた「あほたら」「あほ太郎」を、よく使われた「万金丹(まんきんたん)」などの薬の名になぞらえていったものといわれ、漢字では「安本丹」と書く。

  *** い ***

 ◆ 居合(いあい)
 剣術の一法。すばやく刀を抜いた瞬間に斬り、すぐさま鞘に戻す技術。元亀・天正(1570〜1591)ごろ、奥州の林崎重信に始まるといわれる。抜刀術。
 片膝をついた姿勢のまま、立ち上がらずに行うのが基本で、もともと「居合」とは刀を抜く技術に限らず、座って行う技の事をいった。 動詞「居(い)る」は古くは「座る」の意で、「合ふ」は「敵と戦う」の意。座ったまま戦う意から「い」+「あふ」が名詞化し。「いあひ」の語ができたとされる。 江戸時代には居合い抜きといって、長い刀を用いて、薬などを売るために居合を演じて見せた大道芸が流行した。
 ◆ 唯々諾々(いいだくだく)
 事のよしあしにかかわらず、何事でもはいはいと従うさま。人の言いなりになり、おもねるさま。
 「唯」の字義は、返事の「はい」で、「唯々」は、はいはいと返事をすること。「諾」の字義は引き受けることで、「諾々」は他人の言うことに従う様子。 出典は『韓非子(かんぴし)』の八姦。君主に阿諛する(媚びへつらう)奸臣は、唯々諾々と君主の命令を受け容れてお世辞ばかりを言う。
 ◆ 飯蛸(いいだこ)
 マダコ科の蛸(たこ)。内海の砂泥底にすみ、全長約30センチ。腕の長さは胴の2倍ほどある。やや小型の蛸だが肉も卵も美味で、佃煮や干し蛸にする。
 イイダコという名は、2月から3月の産卵の時期に、胴の中に卵をいっぱいにつめた雌を煮ると、まるで飯粒がつまっているように見えるところからだという。また、その卵の食感が飯粒のようであるからだともいわれる。
 ◆ 許嫁(いいなずけ)
 親同士が決めた幼いときからの婚約者。また、単に婚約者の意味でも用いる。
 口頭で自分の子どもをある人と結婚させる約束をすることを「言い名付ける」といい、その動詞の連用形が名詞化した語。漢語から「許嫁」と当てて書く。
 ◆ 庵(いおり)
 木や草でつくった質素な佇まいの小屋のこと。また、自分の家を謙遜していう。草庵(そうあん)。いお。くさのかりや。
 「庵」は古くは「いほり」と読み、その古形である「いほ(庵)」が動詞「いほる」を生じ、その連用形「いほり」が名詞化したもの。 また、かつては人は岩穴に住んだことから「いほ」は「岩」に通じるともいわれる。
 ◆ 烏賊(いか)
 頭足綱十腕目の軟体動物門の総称。体は円筒形で吸盤のある腕が10本ある。
 イカの語源については諸説あり、はっきりしない。いかめしい形をしているからとする説や、怒った形をしているからとする説、「い」は白で「か」は堅い意とする説などがある。 なお、漢字で「烏賊」と書くのは、イカはいつも水面に浮かんでいて、それを死んでいると思ったカラスが捕らえようとすると、腕を伸ばして鳥が逆にイカの餌食になってしまうという中国での言い伝えによる。
 ◆ いかがわしい
 本当かどうか疑わしい。あやしげである。信用できない。
 上代の時代に、疑いの気持ちを示す「いか」という語があり、これを基にして「いかに」という疑問の副詞ができた。さらに助詞の「か」がついた「いかにか」という形が多用されるうちに音便化して、「いかにか」→「いかんが」→「いかが」という形へと変化した。 この「いかが」は現代語でも「ご機嫌いかがですか」のように使われるが、近世にそれを形容詞化した「いかがし」という語が成立し、さらに「疑わし」などの語形に引かれて「いかがわし」が生まれた。
 ◆ イカサマ
 偽者。いんちき。ペテン。詐欺。
 イカサマの「いか」は、「如何(いかが)」「如何に(いかに)」の「いか」で、「さま」は様子を意味する「様(さま)」。「如何」と「様」が合わさって、「如何様(いかさま)」となり、もともとは「どのように、どんなふうに」を意味していた。 それが転じて、「どうみてもそうだ」「間違いない」の意で用いられるようになり、さらに、「いかにも本物だ」と思わせるものを意味するようになり、現在の意味になったとされる。 また他に、「イカスミ」から転じたもので、イカ墨で書かれた証文が時間とともに消えてしまうことに由来するとの説もある。
 ◆ 遺憾(いかん)
 期待したようにならず、心残りであること。残念に思うこと。また、そのさま。
 「遺憾」とは、「憾(かん)を遺(のこ)す」で、残念だと思う気持ちを心に抱き留めるという意味の漢語。 一般に使われるようになったのは江戸時代からで、現代でよく使われる「遺憾ながら」「遺憾なく」という言い回しは明治時代からとされる。
 ◆ 威儀を正す(いぎをただす)
 作法にかなった立ち振舞いをすること。
 「威儀」は本来は仏教語で、戒律にかなった起居動作のこと。また、その際の作法・規則をいう。 ちなみに、行(ぎょう:歩く)・住(じゅう:止まる)・坐(ざ:座る)・臥(が:臥せる)を四威儀(しいぎ)といい、威儀とは日常生活におけるすべての行動を含む。
 ◆ 異口同音(いくどうおん)
 多くの人が口をそろえて同じことを言うこと、多くの人の意見が一致すること。
 仏典によく出てくる言葉で、本来は、釈迦の説法に感激して、衆生が口々に賛嘆するさまや、堂に集まった信者が口々に念仏を唱えるさまなどを形容していうもの。
 ◆ 勇み足(いさみあし)
 調子に乗ってやりすぎて失敗すること。
 本来は、相撲で相手を土俵際まで追い詰めながら、勢い余って自分の足が先に土俵に出て負けることをいう。それが転じて、はやってよく考えずに行動して失敗すること表すようになった。
 ◆ 十六夜(いざよい)
 陰暦16日の夜、また、その夜の月のこと。
 「いざよい」とは、進もうとして進まない、ためらうという意味の動詞「いざよう」の連用形が名詞化した言葉。月が15日の満月よりも遅く、ためらうように出てくることからこのように呼ばれるようになった。
 ◆ 以心伝心(いしんでんしん)
 口に出して言わなくても、思っていることがお互いに伝わりあえること。
 「心を以(も)って心を伝える」という意味で、本来は禅の宗旨の1つで、釈迦の教えの真髄を経典などの文字や言葉によらず、師の心から弟子の心に伝えることを意味した。 書物を通して先人の教えを伝え学ぶ意味で使われたあと、人間同士が無言で伝え合う意味で使われるようになった。
 ◆ 居候(いそうろう)
 他人の家に身を寄せ、養ってもらうこと。また、その人。
 もとは江戸時代の公文書に、同居人であることを示す肩書きとして用いられていたもの。 動詞「居る」の連用形「居」に丁寧の意を表す「候」が付いて、「(誰それの家に)おります」の意が原義。 家族制度からぶれた者を社会的に認知する一つの方法だったが、川柳などではその肩身の狭さ、独立心のなさが笑いの対象となって多く登場する。
 ◆ 磯の鮑の片思い(いそのあわびのかたおもい)
 一方的に異性に思いを寄せること。
 鮑は実際は巻き貝だが、殻が二枚貝の片割れのようにみえることから、「片貝」の「片」と「片思い」の「片」をかけていうもの。 『万葉集』に「伊勢のあまの朝な夕なにかづくとふ、 鮑の貝の片思いにして(伊勢の尼さんが朝夕ごとに海に潜って取ってくるアワビのように、私は片思いばかりしている)」という歌があるように、古くからあることわざ。 単に「鮑の片思い」ともいう。
 ◆ いただきます
 食事を始めるときの言葉。物をもらうときにも使う言い方。
 飲む、食べる意味の謙譲語「いただく(戴く、頂く)」の連用形に丁寧の助動詞「ます」が付いたもの。 「いただく」は頭に乗せる意で、身分の高い人から物をもらうときに、高くささげて受けたところから、もらう意の謙譲語になり、また、つつしんで飲食する意味でも用いられるようになった。
 ◆ いたちごっこ
 同じことの繰り返しで、いつまで経っても決着がつかないこと。
 もとは、2人が向い合って「いたちごっこ、ねずみごっこ」と唱えながら、すばやく相手の手の甲をつまみ合いながら、順次その手を上に重ねていく、子供の遊びのこと。 その遊びがいつまで経っても終わらないことからたとえていうもので、イタチが追いかけっこをするわけではない。
 ◆ 板に付く(いたにつく)
 服装や態度、職業などが、その人にふさわしくなじんでいること。
 「板」とは、板張りの舞台のこと。本来は、役者が経験を積んで、芸が舞台にしっくりなじむようになることをいう。それから転じて、経験を積んで、動作や態度が地位・職業などにしっくり合う意味になった。
 ◆ 痛み分け(いたみわけ)
 けんかなどで、双方が互いに損害を受けたまま、互角の状態で決着をつけること。
 本来は相撲で、取組中に一方が負傷した場合に勝負を引き分けにすることで、「痛み」は負傷のこと。広い意味での引き分けの一種。 そこから転じて、紛争や論争で互いに損害を被りながら決着がつかないこともいうようになった。 体に痛みを感じることをさす動詞「痛む」の連用形に、動詞「分ける」の連用形の名詞用法が付いたもので、結果的に、負傷による引き分けを示す名詞になっている。
 ◆ 一か八か
 結果はわからないが、運を天に任せてやってみること。
 サイコロ賭博で、偶数を「丁(ちょう)」、奇数を「半(はん)」といい、そのどちらがでるか、「丁か半か」とかけるところからいうもので、「一」は「丁」、「八」は「半」の字の上部を取ったもの。 また一説に、一の目が出るか、それとも駄目かの意味で、「一か罰か」といったところからともいわれている。
 ◆ 一期一会(いちごいちえ)
 一生にたった一度の出会いであること。またそうした出会いを大切にしようということ。
 千利休の弟子、山上宗二の著『山上宗二記』にある、「一期に一度の会」から生まれた言葉。茶道の心得として、何度同じ主客で茶の湯を催そうと、今日という日は一生に一度、またその出会いも同じことで、主客とともに心を配って交わるようにという教えを説いた言葉。
 ◆ いちころ
 いっぺんで簡単に勝負がつくこと。
 「一度でころり」の縮約形が形容動詞として使われるようになったもの。しごく簡単に事が片付く意。 「ころり」は本来は擬態語で、物が転がる様子を示すものだが、そこから転じて「あっけなく事が片付く、あっけなく死ぬ」意の副詞としても使われるようになったもの。
 ◆ 一大事(いちだいじ)
 放置できない重大な出来事。容易でない事態。
 もとは仏教語で、仏がこの世に現れたただ一つの大きな理由を指していうもので、それはすなわち、あらゆる事象の真実のありさまを示すこと。禅宗では「参学の一大事」と使い,「絶対の修行」の意味に使っている。 この「一大事」が一般にも広まり、重大な出来事を意味するようになったが、現在では主に悪い事態の場合に用いられている。
 ◆ 一枚看板(いちまいかんばん)
 一座の代表的な役者のこと。また、多くの人の中で中心となる人物のこと。
 本来は、上方歌舞伎で、勘亭流(かんていりゅう)で外題(げだい)を書き、その上に主要な役者の姿絵を描いた、一枚の大きな飾り看板のこと。転じて、その一枚看板に描かれる役者のことをいうようになり、さらに、一般に、大勢の仲間のうちでの中心人物を意味するようになった。 また、たった一枚きりの衣装、一張羅の意味でも用いられる。
 ◆ 市松模様(いちまつもよう)
 白と黒の正方形を互い違いに並べた模様のこと。
 江戸時代の歌舞伎役者、佐野川市松がこの模様の裃(かみしも)をきたことから広まったとされる。 衣装を着せて遊ぶ抱き人形の「市松人形」も、子役当時の市松がモデルといわれている。
 ◆ 一味(いちみ)
 仏教では、川が海に入ると一つの味になるように、仏法は貴賎や男女、大小などに関わりなくすべて平等無差別であることをいう。その意味から、心を同じくして協力する意味や同志の意味となり、いつしか悪事を企む仲間の意味で用いられるようになった。 ちなみに、文字通り、一つの味、また、一味唐辛子のように、成分が一種類の意味でも用いられる。
 ◆ 一網打尽(いちもうだじん)
 悪党の一味を一挙に一人残らず捕まえること。
 中国の『宋史』にある故事に由来する。 もともとは、単に「網を打って一度に多くの魚をとらえる」という意味だったが、当時、検察官だった王拱辰(おうきょうしん)が政府の公金不正流用疑惑を極秘調査し、現場をおさえて一斉逮捕したことがあった。そのときに王拱辰が「吾、一網打尽せり」と叫んだことから、敵の組織全体を攻め落とすことを一網打尽というようになった。
 ◆ 一目置く(いちもくおく)
 自分より相手が優れていることを認め、一歩譲ること。
 囲碁では、弱い者は強い相手に対して最初に一目置いてから勝負(対局)を始める。そこから、自分よりすぐれている人に対して一歩譲ることを、そう言うようになった。
 ◆ 一蓮托生(いちれんたくしょう)
 人と行動や運命をともにすること。
 本来は仏教語で、死後、極楽浄土で同じ蓮華の上に生まれること。 江戸時代には、この世で結ばれない恋人同士が来世で添い遂げることを願うときなどに用いられた。
 ◆ 一騎当千(いっきとうせん)
 群を抜いて強い人。また、人並みはずれた能力や経験の持ち主のこと。
 一人の騎兵でも千人の敵に対抗できるほど強いことを表した言葉。武士の強さをたとえた言葉であったが、人並みはずれた強さの意味から、武士以外にも人並みはずれた能力・技術などを持つ人にも用いられるようになった。 「千」は「ぜん」とも読む。
 ◆ 一宿一飯(いっしゅくいっぱん)
 一夜の宿と1回の食事を与えられること。ちょっとした世話になること。また、ちょっとした恩義でも忘れてはいけないという戒めの語。一宿一飯の恩義。
 もとは、賭場から賭場を渡り歩く博徒の用いた言葉で、その世界では、旅の途中で泊めてもらったり食事を振る舞われたりして世話になると、生涯の恩義とする仁義があったことからいうもの。
 ◆ 一生懸命(いっしょうけんめい)
 ものごとを命がけでする様子。
 もともとは「一所懸命」で、昔、武士が賜った『一か所』の領地を命がけで守り、それを生活の頼りにして生きたことに由来する。これが「物事を命がけでやる」という意味に転じて、文字のほうも「一生懸命」とも書かれるようになった。
 ◆ 一張羅(いっちょうら)
 持っている中で、たった一枚の上等な衣服、晴れ着のこと。
 由来は、「一挺蝋燭(いっちょうろうそく)」から来たとする説が有力。「挺」は蝋燭や銃、刀剣など、細長い物を数える時に使う単位。 かつて蝋燭は貴重品で、「一挺蝋燭」とは客のために用意した、たった1本の蝋燭という意味。その「いっちょうろうそく」が「いっちょうろう」と略され、さらに「いっちょうら」と音変化して、たった一枚の晴れ着を意味するようになった。 意味の変化に応じて「一張羅」と当てて書くようになり、「張」は衣服や幕、弓などを数える単位で、「羅」は薄い絹布、薄絹のこと。
 ◆ 一点張り(いってんばり)
 一つのことにこだわって、頑固に押し通すこと。
 もとは、花札やサイコロなどの賭け事で、同じところばかりに賭けることを「一点張り」と言った。そこから、他の事をかえりみず、ひとつの事だけを押し通すことを言うようになった。 一点張りはあまり賢い賭け方とはいえず、この言葉は良い意味ではあまり用いられない。
 ◆ 一本槍(いっぽんやり)
 たった一つの方法や手段。また、それで押し通してしまうこと。
 もとは、1本の槍のことで、戦場で槍のただ一突きで勝負を決めることをいい、江戸時代の軍学書『甲陽軍鑑』にもこの言葉がみられる。それが転じて、ただ一つしかない集団、得意技の意味となり、さらに、一つの手段で押し通す、我意を押し通す意味へと展開した。
 ◆ 稲妻(いなずま)
 雷に伴って生じる光のこと。「稲光」ともいう。
 稲妻の歴史的仮名遣いは「いなづま」。 古来、雷が稲の穂を実らせると信じられていて、本来は「稲の夫(つま)」の意。 昔は夫婦や恋人が相手を呼ぶ時は性別に関係なく、大切な相手のことは「つま」と呼んでおり、稲の実りをもたらしてくれる雷は大切な存在であることから、稲のつま、つまり稲妻と呼ばれるようになった。
 ◆ いなせ
 粋で男気がある若者。また、その気風。「鯔背」と書く。
 「いな」は魚のボラの幼魚のこと。その「いな」の背に似た髪型を「鯔背銀杏(いちょう)」といい、江戸日本橋の魚河岸の若者がその髪型を好んで結ったことに由来するといわれる。 また、新吉原で、勇み肌で美声の男が歌って歩いた小唄に「いなせ(去なせ)とも…」の文句があり、そこからきているとする説もある。
 ◆ 稲荷寿司(いなりずし)
 油揚げを甘辛く煮て、そこに酢飯を詰めたもの。稲荷鮨。しのだ寿司とも。
 五穀をつかさどる宇賀御魂命(うがみたまのみこと)の別名を稲荷としい、その使いとされる狐も好物が油揚げであることにちなんで「稲荷寿司」という。 稲荷寿司の発祥は、愛知県豊川市にある豊川稲荷の門前町で、天保の大飢饉の頃に考え出されたといわれる。
 ◆ 猪(いのしし)
 イノシシ科の哺乳類で、ブタの原種。
 イノシシの語源は「猪(い)の獣(しし)」で、「い」は鳴き声からとされ、「しし」は大和言葉で「肉」、また肉を食用とするけもの一般をいう語。
 ◆ 歪(いびつ)
 物の形がゆがんでいること。また、人の心や物事の状態が正常ではないこと。
 炊き上がった飯を移し入れておく器である「飯櫃(いいびつ)」から出た言葉で、「いびつ」ともいい、古くは楕円形をしていた。 そこから「いびつ」が楕円形の意味でも用いられ、さらに、楕円形は完全な円ではないことから、江戸時代には形や状態がゆがんでいる意味に用いられるようになった。
 ◆ いぶし銀
 華やかさに欠けるが渋くて味わいのあるものの例え。「ベテラン」的な意味合いも持つ。
 本来は、硫黄でいぶして、表面を灰色にくすませた銀のこと。地味で華やかさはないが、長年の経験につちかわれた渋みのある芸などを評価するときに用いられるようになった。
 ◆ 韋編三絶(いへんさんぜつ)
 同じ本を繰り返し繰り返し熟読すること。
「韋編」とは、竹簡をなめし革の紐でとじて巻いた古代中国の書物のこと。「三絶」は三度断ち切れる意。また、何度も断ち切れる意。 孔子が、易経を愛読し、何度も何度も繰り返し読んだため、なめし革のとじひもが三度も切れたという故事に由来する。
 ◆ 今一(いまいち)
 求めているものに少しだけ不足している。物足りないこと。
 「今一つ(いまひとつ)」の「一つ」を「一(いち)」と言い換えた言葉。「今」はあと、もう、を意味する。
 ◆ 今川焼き(いまがわやき)
 水で溶いた小麦粉を浅い円筒形のくぼみのある型に流し込み、餡を入れて焼いた菓子。
 江戸時代、神田今川橋付近の店で売りだしたことから名付けられた。 その形から、大判焼きとも呼ばれる。
 ◆ いらいら
 思い通りにならなくて、気持ちが落ち着きがないさま。
 「いら」とは草木の刺(とげ)のこと。刺に触れたときにひりひりした刺激を感じるさまを言葉を重ねて「いらいら」といい、それが不快なことから、感情がいらだつ意味へと転じた。
 ◆ 隠元豆(いんげんまめ)
 マメ科のつる性一年草。さやは細長く、未熟果をさやのまま、あるいは熟した種子を食用とする。中央アメリカの原産。インゲン豆。 江戸時代に、中国明(みん)の僧、隠元禅師がもたらしたことからこの名がある。 別名は「五月ささげ」「三度豆」などがある。未熟果をさやごと食べるものは「さやいんげん」と呼ぶ。 ちなみに、関西地方では隠元豆は藤豆の別称であることから、隠元禅師がもたらしたのは藤豆という説や、二種類の豆をもってきて、関東には五月ささげを、関西には藤豆を広めたとする説もある。
 ◆ 印税(いんぜい)
 著者または著作者がその作品の使用料として出版社などから受けとる金銭のこと。
 英語stamp dutyの訳語である「印紙税」の略語として使われたのが、この語の始まりとされる。それが転用されて、著作権の使用料を意味するロイヤリティー(royalty)を表す語として用いられるようになった。

  *** う ***

 ◆ 外郎(ういろう)
 米の粉に砂糖などを喰らえた蒸し菓子のこと。
 もとは、中国の元の礼部員外郎(がいろう)である陳宗敬(ちんそうけい)が南北朝時代に日本に渡来し、博多で売りだした透頂香(とうちんこう)という薬のこと。 家名を「外郎(ういろう)」と称したため、薬も「ういろう」と呼ばれるようになった。「外」を「うい」と読むのは唐音。 その薬は痰切りや口臭消しに効能があるとされ、江戸時代になって、京や小田原で売りに出されて有名になった。菓子の外郎は、これに色や形が似ていることからの命名。 一説に、この薬を飲んだあとに口直しに食べたからともいわれている。
 ◆ 伺う(うかがう)
 聞く、訪ねる意の謙譲語。 様子を探る、機会を狙う意の「窺(うかが)う」と元は同じ語。目上の人のようすをうかがいみる意から、その動作の相手を敬う意が生じたとされる。
 ◆ 浮き足立つ
 そわそわして落ち着きがないこと。また、逃げ腰なこと。
 「浮き足」とは、足の爪先だけが地面について、かかとが上がった状態をいい、「浮き足立つ」はいわゆる爪先立ちになること。その姿勢がいかにも不安定で、また、逃げ出そうとしているかのように見えるところからたとえていう。
 ◆ 浮き名(うきな)
 恋愛や情事のうわさ。「浮き名を流す」などと使われる。
 本来は「憂き名」で、平安時代には当人にとって悪い評判や辛いうわさの意味で用いられていた。 現在のような意味で使われるようになったのは江戸時代からで、表記も「憂き名」から「浮き名」へと変化していった。
 ◆ 浮世(うきよ)
 世の中。世間。
 もとは「憂き世」で、つらいことの多い世の中の意。「憂き」はつらい、苦しい意の形容詞「憂し」の連体形。 中世に仏教の影響もあり、この世ははかなく無常なものとされ、また、同義の漢語「浮生(ふせい)」「浮世(ふせい)」の影響もあったと思われる。 室町時代には水面に浮くように不安定な世の中の意で、「憂き」に「浮」を当てた「浮世」の表記がみられるようになる。 江戸時代になると、「はかない世の中であれば浮かれて暮らそう」という、現世を肯定した世間観が生まれ、享楽的な意味合いが強くなっていった。
 ◆ 有卦に入る(うけにはいる)
 巡り合わせがよく、幸運が続くこと。
 「有卦」とは、陰陽道で、幸運が7年続くという年回りをいい、本来はその年回りに入ることをいう。 ちなみに、反対に不運が続く年回りを「無卦(むけ)」といい、無卦に入ると5年不幸が続くとされる。人の一生は、この有卦と無卦が交互に巡るといわれている。
 ◆ 烏合の衆(うごうのしゅう)
 意味規律も統制もなく、ただ寄り集まっているだけの集団。秩序のない人々の集まりや軍勢。
 「烏合」とはカラスの群れのこと。カラスは群れ集まってもそれぞれがバラバラで、まとまりがないことからのたとえで、けなしていう。
 ◆ 胡散臭い(うさんくさい)
 どことなく怪しい。疑わしい。 疑わしいさまを示す「胡散(うさん)」に接尾語の「臭い」を加えて、「何となく疑わしい」という意味の形容詞をつくったもの。 「胡散」は和製漢語と思われ、「うさんな人(あやしい人)」のように使われたが、由来については諸説あり、漢語の「胡乱(うろん・疑わしい意)」が転じたものとする説や、茶碗の一種の「烏盞(うさん)」からとする説などがある。
 ◆ 有象無象(うぞうむぞう)
 種々雑多なつまらない人々。群がってくだらない連中を卑しめていう。 本来は仏教語で、「有象無象」とは、宇宙に存在する有形・無形のすべてのもの、森羅万象を表す。「象」は「像」で、かたちの意。
 ◆ 嘘も方便(うそもほうべん)
 場合によっては嘘をつくことも必要なこと。 「方便」とはもとは仏教語で、衆生を教え導く手段のこと。
 「嘘も方便」という成句は江戸時代から見られ、法華経の「三車火宅(さんしゃかたく)」のたとえに由来するといわれる。 これは、ある老人の家が火事になり、中で遊んでいた三人の子どもを救い出すために、3つの車(羊の車、鹿の車、牛の車)が外にあると嘘をいって連れ出し、救いだしてから車を用意して与えたという。
 ◆ うだつが上がらない
 思うように出世しないこと。ぱっとしない。
 「うだつ」とは「?(うだち)」が転じたもの。?は商家の袖壁の上に作られた「卯」の形の瓦状のもので、かつてはその家の富と格式の象徴とされた。それを造ることができないということは、財力がない、出世しないことを意味する。 また、「?が上がる」が棟上げをする意の大工言葉から転じて志を得る意となったことからともいう。
 ◆ 打ち合わせ(うちあわせ)
 前もって相談すること。
 もとは雅楽で、鼓や鉦鼓(しょうこ)などの打ち物だけの合奏のことを「打ち合わせ」といい、他の楽器と息を合わせるために打ち合わせることから、一般に、前もって相談することを示すようになった。
 ◆ 内幕(うちまく)
 外からはわからない内部の事情のこと。
 もとは戦場で、陣中の周囲をめぐらせていた外幕(とまく)の内側に張った幕のこと。その幕の内側で秘密の作戦会議などが行われたことからたとえていうようになった。
 ◆ 内股膏薬(うちまたこうやく)
 そのときの状況しだいで、あっちについたりこっちについたりして、節操のないこと。しっかりした意見がなくその時の気持ちで動くこと。また、そのような人をあざけっていう語。 昔の膏薬は、べとべとしていて、内腿にはると右側についたり左側についたりしたことに由来する。 内股膏薬は「うちまたごうやく」ともいう。
 ◆ 宇宙(うちゅう)
 すべての事物を包容する無限の空間と時間の広がり。天地四方。全世界。また、宇宙空間、特に太陽系空間のこと。
 「宇」はのき(軒)の意で、家屋の、またぐように覆った部分、四方にふきおろした部分のこと。そこから、上下四方、空間の意も表す。「宙」はとき(時)の意。 空間の広がりの「宇」と、時間の広がりの「宙」を合わせて、全世界を意味する。
 ◆ 有頂天(うちょうてん)
 喜びや得意の絶頂にあること。
 仏教語で「天の中の最上にある天」を意味するサンスクリット語「bhava-agra」の漢訳。三界(上から無色界・色界・欲界)のうち、形ある(有)世界の最上(頂)にある色究竟天(しきくきょうてん)を指す。 また一説には、無色界の最上である非想(ひそう)、非非想処天(ひひそうじょてん)を指すとされる。 「天」は「天界」を意味すると同時に、そこに住する者をも指す。したがって、このことから「有頂天に登りつめる」=「絶頂を極める」の意を転じて、頂上世界に安住して自分を忘れてうわの空である状態を指すようになった。
 ◆ 団扇(うちわ)
 あおいで風を起こす道具。ふつう、細く削った竹の骨に紙や絹を円形に張って作る。
 語源は「うち(打ち)」+「わ(ハ・羽)」とされる。 「うち」は「打つ」、すなわち叩くような動作をすることから、「わ」は鳥の羽を材料にしたことからきたと考えられる。
 ◆ うっかり
 ぼんやりして注意が行き届かないさま。不用意なさま。 動詞「うく(浮く)」と同源の「うか」を基にした副詞で、心が重心を失ってぼうっとしている状態をいうのが原義。 そのため古くは、心に衝撃を受けて呆然としているさまや、美しいものに心をひかれてうっとりしているさまも表した。
 ◆ うっちゃる
 放っておくこと。また、土壇場で形勢が逆転すること。打遣る。 「うっちゃる」は「うちやる」が音変化したもので、「うち」は強めの接尾語、「やる」は押しやる意。
 ◆ 現を抜かす(うつつをぬかす)
 ある物事に心を奪われ、夢中になって我を見失うこと。
 「うつつ」とは、現実・本心・本気のことで。意識がはっきりしている状態をいう。つまり、「うつつを抜かす」ということは意識がはっきりしていない状態であることから、ある物事に心を奪われる意味となった。
 ◆ 打って付け(うってつけ)
 物事がぴったりと当てはまること。また、そのさま。おあつらえ向き。 釘で板と板を打ってつけると、ぴったりと合うことからいうもの。
 ◆ 独活の大木(うどのたいぼく)
 図体ばかり大きくて、役に立たない者。 「独活」はウコギ科の多年草のこと。ウドの茎は木のように長くなるが、柔らかくて材としては使えないところから、からだばかり大きくて役に立たない人のたとえに用いられるようになった。
 ◆ 鰻登り(うなぎのぼり)
 とどまることなく登っていくこと。気温・物価・評価などが見る間に上がったり、物事の件数・回数が急激に増加した場合などに使われる。 語源については、鰻は滝のようなところでも水の少ないところでも身をくねらせながら登ることができるからとする説がある。 また、鰻はぬるぬるしていて、手で捕まえようとしても上へ上へと逃れて限りがないからとする説もある。
 ◆ うなだれる
 失望や恥ずかしさから、力なく首を前に垂れること。うつむく。
 「うな」は「うなじ(項)」の「うな」で、それに「たる(垂る)」がついて「うなだる」となり、さらに「うなだれる」となったもの。 漢字では「項垂れる」と書き、室町時代までは「うなたれる」と読んでいた。
 ◆ 唸る(うなる)
 痛みや苦しみ、また感動のために低い声をだすこと。また、内に満ちている力が、あふれ出るばかりになること。
 唸るの語構成は「う」+「なる」で、「なる」は「鳴る」、「う」は低い声を表す擬音語。
 ◆ うのみ
 漢字で書くと 「鵜呑み」。鵜という鳥は、魚をかまずに丸飲みすることから、物事をよく理解・検討しないまま取り入れるという意味になった。
 ◆ 鵜の目鷹の目(うのめたかのめ)
 熱心に物を探すさま。またそのときの鋭い目つきのこと。
 鵜(う)が水中で魚を、鷹(たか)が空中で獲物を狙っているときの鋭い目つきから、真剣に物を探しだそうとする目の様子をいう。 また、自分の利益になることを追求したり、他人の欠点などを異常なまでに追求したりするときの、目を配る様子にも使われる。
 ◆ 乳母(うば)
 実の母親に代わって乳児に乳を与え、子どもを養育する女性。おんば。めのと。 歳をとった女性を意味する「おば」が変化した語。
 「おば」は「おほ(大)+ば(母)」がその語源と考えられる。「おほ」は年長の意。 「うば」も最初は年長の女性をいったが、年長の女性は子育ての経験から他人の子も世話をすることがあり、そこから現在のような意味がでてきたとされる。
 ◆ 姥桜(うばざくら)
 ヒガンザクラなど、葉が出るより先に花が咲く桜のこと。また、女盛りを過ぎても、なお美しさや色気が残っている女性のこと。
 花が咲くのを女性の美しさの盛りとみて、そのときに葉(歯)がないので「姥桜」と洒落ていったもの。江戸時代よりみられる。 かなり年増でありながら美しくなまめかしい女性をいったが、最近は年齢に似合わず若づくりをしている女性を、からかい気味にいうことが多くなった。
 ◆ うまい
 食べ物の味がよい。 「うま」は果物などが熟す意味の「うむ」から、また、「あまい(甘い)」が音変化したものなど、語源は諸説ある。 比喩的に、すぐれている、巧みである。好都合であるなどの意で用いられる。漢字では「旨い」「甘い」のほか、巧みである意では「上手い」「巧い」を当てて書く。
 ◆ 馬が合う
 お互いに気が合うこと。 馬は乗り手の気持ちを敏感に感じ取る動物で、うまく乗りこなすにはその馬を理解し、気持ちが通じ合うことが大切になる。 人と人も同じことで、乗り手と馬の呼吸がうまく合い、人馬一体となることからたとえていうもの。
 ◆ 海千山千(うみせんやません)
 経験豊富で、世の中の表も裏も知り尽くしていてずる賢いこと。 海に千年、山に千年棲んで生き抜いた蛇は竜になるという言い伝えによるもので、人が世の中の荒波にもまれ、したたかになるさまをたとえていうようになった。
 ◆ 右翼(うよく)
 18世紀末のフランス革命当時の国民議会で、保守派の席が議長から向かって右側であったことに由来する。 反対に、急進派の席が議長から向かって左側であったことから、急進的な思想傾向、またその人や集団は「左翼」という。
 ◆ 裏をかく
 相手の予想したのとは反対のことをして相手を出し抜く。 昔の戦で、矢や槍などが、それを通すはずのない鎧や盾を貫いて、裏側まで届くことをいった。鎧が万全であれば貫かれることはないが、不備があれば思わぬ不覚をとることになる。裏をかくということはすなわち、相手の油断をつくということになる。
 ◆ 裏切り(うらぎり)
 戦において、味方を捨てて敵方につくこと。転じて、人の信頼や期待に背くこと。 「裏」は後方のことで、「裏切り」とは「味方を後ろから切る」こと。
 ◆ 裏付け(うらづけ)
 ある事象の信憑性や正当性を資料によって確実なものとすること。
 本来は、証文などの裏に、表の記載内容を証明する文を書くこと、つまり裏書すること、またはその書いた文そのもののことをいった。 「(文を)裏に付ける」が原義で、現代のような意味で用いられるようになったのは明治以降とされる。
 ◆ 裏腹(うらはら)
 相反していること。また、そのさま。あべこべ。
 「裏」は身体の背面つまり背中のことで、これを前面の「腹」と重ねることで、物事が正反対であることを示している。
 ◆ 盂蘭盆(うらぼん)
 旧暦7月15日を中心に行われる、先祖の霊をまつって弔う仏事。 本来は、祖霊を死後の苦しみから救うためのもので、サンスクリット語の「ウランバナ」(ullambana)を音訳したもので、「倒懸(逆さ吊りの苦しみ)」を意味する。 「盂蘭盆会」ともいい、略して「お盆」ともいう。
 ◆ 裏目に出る(うらめにでる)
 予想と違って悪い結果になること。
 「裏目」とは、サイコロのある目と反対の目のこと。サイコロを振って、出したいと思う目の反対が出てしまうことにたとえて、期待して行ったことが反対の結果になることをいうようになった。
 ◆ 瓜二つ(うりふたつ)
 2人の人間の顔かたちがよく似ていることのたとえ。
 瓜を2つに割ると、切り口がほとんど同じであることから、親子や兄弟の顔かたちがそっくりであることのたとえになった。
 ◆ うるさい
 物音がやかましく、わずらわしい。口やかましい。こだわりがある。 文語は「うるさし」で、「うら(心)」の母音交替形「うる」に、形容詞「さし(狭し)」がついた語。平安時代には行き届いて相手にすきがない状態をいった。 そこから、わずらわしい、うっとうしい意が生じ、さらに、さまざまな意へと広がった。漢字では「煩い」のほか、五月の蠅(はえ)のしつこさから「五月蠅い」を当てて書く。
 ◆ うろうろ
 目的もなく歩きまわるさま。どうしたらよいかわからずに困りはてているさま。 「おろおろ」の母音交替形で、本来は目の焦点が定まらないなど、混乱した様子を広くさす語だった。「おろおろ」は、「愚(おろ)か」や「疎(おろそ)か」の「おろ」を重ねたもので、不明瞭・不十分なさまをいうのが原義。 そこから、中世以降、不安でおどおどするさまを示すようになった。
 ◆ 上っ調子(うわっちょうし)
 邦楽で、三味線を合奏するときに、基本の調子に対して、従の奏者が弾くそれより高い調子を上調子(うわちょうし)といい、その甲高い音がいかにも軽くて落ち着きがなく聞こえたことから、転じて、人に対しても用いられるようになったもの。
 ◆ 上前をはねる(うわまえをはねる)
 取り次いで人に渡すべき賃金などの一部を自分のものにすること。 「上前」は仕事や売買の際に仲介者が賃金を代金の中から取る手数料のことで、その手数料を取ることを「上前をはねる」といい、さらに、ピンハネする意味へ転じたもので、江戸時代から用いられる。 「上前」は「上米(うわまい)」が変化した語。「上米」とは室町時代には寺社に寄進させられた年貢米の一部をいい、江戸時代には諸国の年貢米が神領などを通過する際に通行税として徴収された米のことを言った。
 ◆ 雲泥の差(うんでいのさ)
 非常に大きな隔たり。雲泥の違い。月とすっぽん。 雲は天、泥は地で、天と地ほど大きな差があるという意味から。 出典は白居易(はくきょい)の『傷友』で、「今日長安の道、対面雲泥を隔つ」とあるのに基づく。
 ◆ うんともすんとも
 返事などがまったくない様子。何のひとことも。 「うん」は承諾の声や、鼻から出す声や息の音を表した。「すん」は「うん」に語呂を合わせたもので、ともに人の息遣いを示す擬音語で、「うんともすんとも言わない」は、「一言も発しない」という意になったもの。 また、ポルトガル語起源の「ウンスンカルタ」(ポルトガル語で「ウン」は「一」、「スン」は「最高点」を意味するといわれる)に由来するという説もあるが、直接の関係はないとされる。
 ◆ 閏年(うるうどし)
 暦で1年が366日ある年、2月29日(閏日)のある年のこと。太陽暦と地球の自転速度とのずれを修正するため、4年に1度設けられる。「じゅんねん」とも。 漢字の「閏」は、王が門の中にいることを表す字で、中国では暦からはみ出した閏日(閏月)には、王が門の中にとじこもり、政務を執らないことに由来する。 日本では「潤」を「うるう」「うるむ」と読むところから、「閏」の漢字にも当てられた読み方で、本来は「じゅんねん」である。

  *** え ***

 ◆ 栄養(えいよう)
 生物が生きていくため、成長するために、体外から物質を取り入れ、成長や活動に役立たせること。また、その成分。 「栄養」とは、本来は親に孝養を尽くすことの意であったが、中国の李東垣(りとうえん)の医書『脾胃論(ひいろん)』で体を滋養する意で用いられ、日本にも伝わった。 明治ごろは「営養」とも書かれたが、次第に「栄養」が普通になっていった。
 ◆ 駅伝(えきでん)
 長距離のリレー競走のこと。 「駅伝」という言葉は、1917年に日本で最初の駅伝「東京奠都(てんと)五十年奉祝東海道五十三次駅伝競走」を読売新聞社が主催した時に、神宮皇學館の武田千代三郎によって命名された。 これは、江戸時代における東海道五十三次における伝馬制からヒントを得たとされる。 街道の宿駅ごとに「駅馬」が用意され、各郡で飼育された乗り継ぎ用の「伝馬」とともに公用の旅行に共された。伝える馬は江戸時代には民間の輸送用としても使われた。 この駅制にもとづいて幹線道を往来する「駅馬」と「伝馬」からヒントを得て、「駅伝」と命名したといわれている。
 ◆ えくぼ
 笑ったときにできる小さなくぼみのこと。 「えくぼ」の「え」は「笑顔」で笑うことの意。「くぼ」は「窪み」の意。漢字では「靨」と書くが「笑窪」とも書き、昔は「笑窪(えみくぼ)」とも言った。
 ◆ 回向(えこう)
 死者の成仏を願って仏事供養をすること。 本来は「転回する」「変化する」「進む」などの意。サンスクリット語Pari??man?からで、「廻向」とも書く。仏教語。 「回」はめぐらすこと、「向」はさしむけることで、仏教では自己の善行の結果である功徳(くどく)を他に廻らし向けるという意味に使われ、「回向」と漢訳された。
 ◆ 依怙贔屓 えこひいき
 気に入った者を特別に肩入れすること。 「依」は寄りかかる意、「怙」は頼む意で、元来「依怙」は頼る意だったが、中世ごろから頼りとする相手に肩入れする意に転じた。 「贔」も「屓」も力を入れる意で、「贔屓」は力を込めてがんばる意であったが、中世ごろから気に入った人に力添えする意に転じた。この2つの語が合わさって、「依怙贔屓」という語が生まれた。
 ◆ 会釈(えしゃく)
 あいさつのしるしに軽くお辞儀をすること。また、相手に心配りをすること。思いやり。斟酌。 仏教語で、前後の内容を照らし合わせて矛盾がないように解釈する意の「和江通釈(わえつうしゃく)」から出た言葉。あれこれ照らし合わせることから、お互いにあれこれ気を配る、さらにあいさつの意へと転じた。
 ◆ 得体の知れない
 「得体」は、真の姿や正体という意味。語源については、「ていたらく」の漢字表記「為体」を音読した「いたい」「いてい」が「えたい」に変化したとする説がある。
 ◆ 越中褌(えっちゅうふんどし)
 長さ1メートルほどの小幅の布の端に、紐がついたふんどしのこと。一部ではクラシックパンツ、サムライパンツとも呼ばれる。医療用の下着であるT字帯も越中褌の一種。 越中守であった人物が考案したことからこの名があるとされる。その人物は、細川忠興(ほそかわただおき)が考案者とする説と、松平定信(まつだいらさだのぶ)であるとする説がある。 下着として広まったが、六尺褌などと比較して、簡易で外れやすいので、肉体労働を伴わない医者や神職、僧侶、文化人、商人の間で用いられていた。
 ◆ えてこう
 猿の異称。エテ公。 「さる」という音は、「去る」に通じるため、それを忌みきらって「去る」の反対である「得る」を用いて「えてこう」となった。 「こう」は「忠犬ハチ公」の「公」で、擬人化して親しみの気持ちを表す語。
 ◆ 江戸前(えどまえ)
 江戸(東京)湾で捕れた新鮮な魚を賞美していうもので、その魚を使った料理のこともいう。江戸の目の前の海。現代では「江戸風」という意味でも使われる。 もともと江戸の前面の海、すなわち今の東京湾、芝・品川沖の海をいい、当時漁業が盛んで、ここで捕れる活きのいい魚を江戸前産と称して江戸っ子たちに賞味されていた。その名残を今に伝えることば。
 ◆ 海老で鯛を釣る(えびでたいをつる)
 ほんの少しの元手や労力で大きな利益を得ることのたとえ。 安くて小さなエビをエサにして、大きく立派な鯛を釣り上げることから、ほんの少しの本でやわずかな物で、たくさんの利益や値打ちのある物を手に入れることのたとえ。 略して「海老鯛(えびたい)」ともいう。
 ◆ 恵方巻き(えほうまき)
 節分に食べると縁起が良いとされている「太巻き(巻き寿司)」のこと。また、大阪地方を中心として行われているその太巻きを食べる習慣。 「恵方」とは、陰陽道でその年の干支によって定められた方角のことで、その方向に歳徳神(としとくじん、とんどさん)がいるといわれる。歳徳神はその年の福徳を司る神で、その方角に向かって事を行えば、万事に吉とされる。 その恵方に向かって巻き寿司を食べることから、「恵方巻き」と呼ばれるようになった。 恵方巻きは、願い事を思い浮かべながら、恵方に向かって無言で一本丸ごとの海苔巻きを丸かぶりすることから、「丸かぶり寿司」や「丸かじり寿司」とも呼ぶ。 巻き寿司を切らず一本丸ごと食べるのは「縁を切らない」という意味も込められており、7種類の具材を使うとされる。その数は商売繁盛や無病息災を願って七福神にちなんだもので、福を巻き込むという願いも込められている。
 ◆ 絵馬(えま)
 祈願や報謝の意味で寺社に奉納する、馬が描かれた板絵や額のこと。 古来、神は馬に乗って降臨するといわれており、生きた馬が奉納されていた。しかし、馬は高価で奉納しにくく、また、奉納された寺社の側でも世話をするのが大変なので、のちに木製や土製の馬で代用されるようになり、さらに板に描いた馬の絵で代えられるようになった。
 ◆ 偉い(えらい)
 優れていて立派。地位や身分が高い。また、ひどい、大変。 「えらい」は江戸時代より使われている語で、当初は「大変だ」「ひどい」の意で使われていた。 おもに上方で使われ、やがて江戸でも見られるようになり、幕末頃になると、地位が高い、立派の意が定着した。
 ◆ 襟を正す(えりをただす)
 自己の乱れた衣服や姿勢を整えること。また、それまでの態度を改めて、気持ちを引き締めること。 長安の有名な易者に会いに行った役人たちが、易にとどまらない深い博識に感動し、自然に冠のひもを締め直して上着の襟(えり)を正し、きちんと座り直して話を聞き続けたという故事に基づく。 転じて今までを反省し、改めて身を引き締めて事に当たる事を表すようになった。
 ◆ 演歌(えんか)
 歌謡曲の一つ。小節(こぶし)をきかせた浪曲風メロディーで二拍子、短調の曲が多く、義理人情を歌う。 もとは、明治から大正時代にかけて、街頭でバイオリンなどを弾きながら歌った流行歌をいい、明治初期に自由民権運動の壮士たちが、演説の代わりに歌ったのが始まり。演歌の第1号は「壮士自由演歌」といわれる「ダイナマイト節」である。
 ◆ 縁側(えんがわ)
 座敷の外部に面した側に設ける板敷きの部分。内側にあるのが一般的で、外側にあるものを「濡(ぬ)れ縁」という。 古くは単に「縁(えん)」といった。物のふちや側面を「側(かわ)」というようになったのは室町時代からで、江戸時代になるとこれが縁と結びついて「縁側」という語ができた。
 ◆ 縁起(えんぎ)
 物事の吉凶の前兆。また、吉凶を判断するもととなるもの。 本来は仏教語で、すべての事象は種々の因(原因)と縁(条件)によって生ずるとする「因縁生起(いんねんしょうき)」の意で、仏教の重要な教えの一つ。 原因や条件を追求し説明しようとする姿勢が転じ、多くの派生的意味が生じた。神社仏閣や仏像・経典などの由来や沿革も「縁起」といい、幸・不幸のきざし、吉凶の前兆と言った意味で、「縁起が悪い」「縁起をかつぐ」などと使われた。
 ◆ 演説(えんぜつ)
 大勢の前で自分の主義主張を述べること。 中国の『書経』にもみえる語で、本来は道理や意義を説き明かすこと。日本でも当初はこの意味で用いられていたが、江戸時代末期に英語speechの訳語として使われたことにより、明治時代には現在の用法が一般化した。
 ◆ 縁の下の力持ち(えんのしたのちからもち)
 陰で人のためい苦労や努力をすること。または、その人。 一説に、大阪の四天王寺で経供養に聖霊院で舞われた「縁の下の舞」から出た言葉とされる。古来、その舞は院の前庭で、非公開で演じられたことから、人が見てない所で骨を折ることにたとえられるようになった。
 ◆ 煙幕を張る(えんまくをはる)
 本当の意図を隠すために、別の行動して取り繕うこと。 「煙幕」とは、戦場で味方を隠し、適をあざむくために、幕のようにめぐらした煙のこと。その煙の幕を張ることからたとえていうもの。
 ◆ 演出(えんしゅつ)
 演劇・映画・テレビなどで、脚本をもとに台詞や動作を決め、役者を指導して上演の総指揮ををとること。また、行事などで意図的に特定の雰囲気をつくりだすこと。 演出とは、本来は「(教えなどを)世間に広める」という意味だったが、明治時代以降、「演劇」「演戯」などの影響から現在の意味で用いられるようになった。
 ◆ 縁日(えんにち)
 神や仏が衆生(しゅじょう)と縁を結ぶ日のこと。 「有縁(うえん)の日」「結縁(けちえん)の日」の略語で、仏教語。この日に参詣?(さんけい)?すれば、特に御利益があると信じられている。 縁日には、毎月の5日の水天宮(すいてんくう)、18日の観世音(かんぜおん)、28日の不動尊(ふどうそん)などがある。 近代以降では、神社仏閣などで行われる祭り(露店などが多く出る)の日の意味として使われることが多い。
 ◆ 鉛筆(えんぴつ)
 木の軸に芯を入れた筆記用具。 黒鉛の粉末と粘土を練り合わせて焼き固めたものを芯とすることから、「鉛筆」と呼ぶようになった。ただし、黒鉛は鉛ではなく、炭素の同素体。 1565年にイギリスで考案。日本には江戸初期にオランダ人がもたらしたが、商品として広まったのは明治10年(1877)前後から。
 ◆ 遠慮(えんりょ)
 人に対して、言葉や行動を慎み控えること。また、辞退すること。 もとの意味は、遠い将来のことまで深く考えること。「深謀遠慮」という熟語にその原義が残っている。 遠い先のことまでよく考えるということは、すぐには行動に移らないということであり、そこから態度を控えめにするという意味がでてきた。

  *** お ***

 ◆ おあいそ
 おあいそとは、料亭の女将などが客に対して「勘定のことを言うのは、お愛想づかしなことで申し訳ありませんが」と言ってお客に勘定書を示していた際の言葉の中の「愛想づかし」からきているそうです。
 現代では、客の方から「おあいそしてくれ」と言っている人も見かけますが、本来の意味通りに考えると、「こんな店には愛想が尽きたからツケを清算してくれ」というおかしな意味になってしまいます。
 これは、明治時代の雑誌「風俗画報」で、「勘定をあいそといふなど尤も面白く存じ候ふ」と客側の「おあいそ」も「お勘定」の意味で京都の流行として紹介されたことから、全国に広まったようです。
 しかし、「おあいそ」はあくまでも店の側が使い、客は「お勘定をお願いします」などと言う方が無難かもしれません。
 ◆ お生憎様(おあいにくさま)
 相手の期待に添えないときなどに言う、断りの言葉。また、残念だった、お気の毒さま、といった意味で、皮肉を込めて言うこともある。 都合の悪いさまをいう「あいにく」に、接頭語「お」よ接尾語「さま」を添えたもので、丁寧な表現。 「あいにく」は「あやにく」が転じたもので、「あや」は感動詞、それに形容詞の「にくし(憎し)」の語幹が付き、ああ憎い、が原義。近世に入ってから「あいにく」と音変化した。
 ◆ お足(おあし)
 お金のこと。 お金は人の間を行ったり来たりするものだが、その様子があたかも足が生えているかのように行き来するからという。 接頭語「お」をつけるのは、もとは女房詞であったため。
 ◆ 美味しい(おいしい)
 食べ物の味がよい。美味だ。また、自分にとって都合がよい。得になる。 古くは「いし」という形の形容詞であり、「好ましい」「みごとだ」「殊勝だ」などの意を表す語であった。 それが室町時代から江戸時代にかけて、「美味だ」の意味でおもに女性が用いるようになり、その「いし」が「いしい」となり、さらに接頭語「お」が付いて「おいしい」となったもの。
 ◆ 置いてきぼり
 「置いてきぼり」は「置いてけぼり」が転じた後で、「ぼり」=「掘」を指し、江戸本所七不思議のひとつである「置いてけ堀」の古事に由来するそうです。
 ここは、江戸本所にあった釣りで賑わう池で、夕方に堀で釣った魚を魚籠(びく)に入れて帰ろうとすると、堀の中から「置いてけ〜、置いてけ〜」という声が聞こえたのだとか。魚を全部返すまでこの声がやまなかったそうです!
 この堀の場所は、東京都墨田区錦糸町あたりの「錦糸堀」が有力とされていますが、「亀戸東方の堀」など諸説あるようです。
 ◆ 黄金律(おうごんりつ)
 内容が深遠で、人生にとってこの上なく有益な教訓。 本来は、『新約聖書』の「マタイによる福音書」第七章にある、「何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ」というキリストが山上の垂訓中に示したとされるキリスト教の根本的倫理のこと。英語golden ruleの訳語。
 ◆ 往生(おうじょう)
 現世が終わり、極楽浄土に往って生まれ変わること。また、死ぬこと、難儀すること、閉口することもいう。 元来は仏教語で、他の世界に往きて生まれ、生まれ変わることの意だが、平安以降、浄土思想の発展で「極楽往生」の意として用いられるようになった。死ぬことの意はそれの転じたもの。そこからさらに意味が転じて、難儀する、閉口するの意も生まれた。
 ◆ 往生際が悪い(おうじょうぎわがわるい)
 決断力がなく、思い切りやあきらめが悪いこと。 本来は仏教語で、「往生」は死ぬこと、「際」は境目のこと。つまり、「往生際」とは、この世からあの世へ行く間際、またそのときの様子を表し、転じて「往生際が悪く、なかなか負けを認めようとしない」のように、「往生際が悪い」の形で、あきらめの悪い意味に用いられる。
 ◆ 横柄(おうへい)
 無礼で人を見下すような態度をとること。無遠慮なこと。また、そのさま。 この語は、「押柄(おしから)」を音読したことに由来する。 「押柄」は押しの強い人柄という意味で、これが中世になると音読されて「おうへい」となり、当時すでに同音となっていた「横」の字を当てるようになったもの。これには、「横車を押す」などの「横」の字のもつ、強引なという意味が働いたと考えられる。
 ◆ オウム返し
 人から言われた言葉をそっくりそのまま返すこと。鸚鵡返し。 もとは、和歌で、他人の詠んだ和歌を一部だけ変えて即座に返歌することを「オウム返し」といったことによる。「オウム」は口まねが上手な鳥のことで、歌舞伎では、道化役が主役のセリフや演技をまねすることを「鸚鵡(オウム)」という。
 ◆ 鷹揚(おうよう)
 小さな物事にこだわらずゆったりとしているさま。 語源は、鷹(たか)が空を悠然と飛ぶ様子からで、出典は中国の『詩経(しきょう)』によるとされる。 しかし、日本では別に「大様(おおよう)」という語があり、落ち着きがあって小さなことにこだわらないさまを表す語として中世ごろから使われていた。「鷹揚」の表記が見られるのは近世になってからで、「鷹揚」は「大様」への当て字として用いられた可能性も考えられる。
 ◆ 横領(おうりょう)
 他人の物を不法に自分のものとすること。 古くは、兵士を統率する意味の「押領」という語が使われた。さらに、平安時代から人の領地をむりやり奪う意味でも用いられ、しだいに人の物を奪う意味に移行していった。 明治時代になると、「横領」の字が当てられるようになったが、この「横」は「横柄」などと同様に、強引なという意味があると考えられる。
 ◆ 大袈裟(おおげさ)
 実際より大きく言ったり、振る舞ったりする様。 「袈裟」は、僧衣の一つで、左肩から右脇にかけて衣の上をおおうもので、おおきい袈裟を「大袈裟」という。それをつけていると大きく立派に見えることから、誇大なさまを「大袈裟」というようになった。
 ◆ 大御所(おおごしょ)
 その道の大家として、絶大な実力と権威をもっている人。また、隠居後もなお強い影響力をもっている人。 天皇の住まいである「御所」に対して、隠居した親王の住まいを「大御所」といい、そこに住む人の尊称としても用いられていた。武家社会になると退位した将軍やその住まいにもいうようになり、江戸時代には大御所といえば、徳川家康や11代将軍家斉(いえなり)を指した。 現在の意味での大御所が使われるようになったのは、昭和に入ってから。
 ◆ 大関(おおぜき)
 相撲で、横綱に次ぐ地位。明治になって横綱がおかれるまでは、力士の最高位であった。 「関取」に「大」がついて「大関取」となり、「取」が略されて「大関」になったとされる。かつては力士の最高位だったが、現在では「横綱」に次ぐ地位である。 古く最上位の力士のことは「最手(ほて)」と称したが、室町時代ごろに「関(せき)」と呼ぶようになった。関は関門のことで、ここを超える者がいないためなどの説がある。
 ◆ 大立者(おおだてもの)
 その分野の一番の実力者、重要人物。 本来は、歌舞伎で座頭(ざがしら)や立女形(たておやま)など、一部の中心役者を「立者(たてもの)」といい、さらにその中でも主要な幹部役者を「大立者」といったことに由来する。 ちなみに、「立て」は、中心・筆頭を意味する接頭語で、「立て行司」とは、最高位の行司のこと。
 ◆ おおっぴら
 公然と事を行うさま。隠そうとしないさま。表ざたになるさま。 「大開き」の意の「おおびら」が変化した語。 「おおびら」は、人目をはばからずに事を行うさまを示し、近世においては、金銭を惜しげもなく使う様子をいうことが多かった。 近代に入ると、金銭以外に使われる対象が広まり、また「おおっぴら」という語形もみられるようになった。
 ◆ 大詰め(おおづめ)
 最終段階や最終局面のことで、そのような状況になることを「大詰めを迎える」という。 もとは、江戸歌舞伎からきた言葉で、時代物を演じる一番目狂言の幕のことをいった。のちに、芝居全体の最終幕のことをいうようになり、一般的な意味でも使われるようになった。
 ◆ 大盤振る舞い(おおばんぶるまい)
 盛大にごちそうしたり、気前よく物を与えること。 本来は「椀飯(おうばん)振る舞い」で、「椀飯」は椀に盛った飯の意味。平安時代、儀式などの後に公卿たちに供される膳を「椀飯」といい、鎌倉・室町時代には将軍家に諸大名が祝膳を奉る儀式となった。 江戸時代には、民間で正月に一家の主が親類縁者、近隣の者を招いて宴を催すことを「「椀飯振る舞い」というようになり、やがて、盛大にもてなす意味に変化するとともに、「おうばん」が「おおばん」と聞き間違えられ、「大皿」の意味で「大盤」となった。
 ◆ 大風呂敷(おおぶろしき)
 実現できそうもない大げさな話や計画のこと。「大風呂敷を広げる」などと使う。 風呂敷とは、もとは風呂の湯上がりに敷いたり体を拭いたりするのに用いたり、脱いだ衣類を包むのに用いられた。 風呂敷は物を包んでいるときは小さいが、広げてみると案外大きい。そこで、何も包むものをもっていないのに外形だけ大きく、大仰なものを大風呂敷といい、さらに大げさなことをいうようになった。
 ◆ 大向こうを唸らせる(おおむこうをうならせる)
 役者が、うまい芸で観客を感嘆させること。また、一般にすぐれた技巧で多くの人々の人気を博すること。 歌舞伎で、舞台から見て正面の2階の桟敷(さじき)を「向こう桟敷」といい、さらにその後方にある立ち見席のことを「大向う」という。天上桟敷で、料金は安いが、そこの観客は目の肥えた芝居好きが多いことから、転じて、芝居通の人、さらに一般の見物人のことを「大向う」というようになった。 つまり、「大向うを唸らせる」といえば、そういった芝居通をも感心させるほどの名演であることを意味する。
 ◆ 大目玉を食う
 ひどく叱られること。 人を叱るときに目を大きく見開くことからいうもの。 「食う」は好ましくないことを身に受ける意味で、損をすることを「割を食う」というの同じ。
 ◆ 大目に見る
 些細な欠点や不備などは気にしないで、寛大に扱うこと。 「大目」の「目」は形容詞・動詞の語幹について、度合いや加減などを表す接尾語。大ざっぱに見るという意味から。
 ◆ 大家(おおや)
 貸家の持ち主。家主(やぬし)。 「大家」は文字通りもとは大きな家を意味した。また、分家に対して、中心となるおおもとの家も「大家」といった。 家主と借家人の関係を表すようになるのは江戸時代から。
 ◆ 公(おおやけ)
 公的・公式なこと。 「おほ(大)」+「やけ(宅)」で、大きい屋敷という意味。「やけ」は「やか(屋処)」が転じたもの。 大きい屋敷は身分の高い者の住まいであることから、奈良時代には朝廷、政府、官庁を意味するようになった。
 ◆ おおわらわ
 「大童」と書きます。戦国時代の武士の髪型からきたことばです。
 力の限りに奮闘、活躍すること。「童」(わらわ)は子供の散らし髪のことで、武士も戦場で奮闘する時は兜を脱ぎ、髪をふり乱して、 「童髪」になるところから、非常に忙しく働くことを「おおわらわ」(大童)と言ったのです。
 ◆ おかか
 鰹節、また、それを削ったもの。 カツオの語頭の音節を繰り返した「かか」に、丁寧の意の接頭語「お」をつけた女房詞。
 ◆ おかき
 餅米を原料とした菓子。欠餅(かきもち)。また、一般に煎餅(せんべい)のこともいう。 欠餅の「かき」に接頭語の「お」がついた女房詞。 もとは鏡餅を槌(つち)などで小さく砕いたもののことで、欠く意味から「欠餅」という。 従って、漢字では「お欠き」と書くが、現在は原義が忘れられて「おかき」と表記することが多い。
 ◆ おがくず
 鋸(のこぎり)などで材木をひくときに出る粉状の木くず。ひきくず。のこくず。燃料や床の防音・床掃除などに用いる。 「おが」は大きなノコギリのこと。二人がかりで材木の両側から切り、その「くず」だから「おがくず」という。 「おが」は「おほが」ともいうが、これは古くは大きなノコギリを「ががり」といったことから「おほ(大)+ががり」を略したものとされる。
 ◆ お陰様(おかげさま)
 他人からの好意や恩恵に対して、感謝の意を表して言う言葉。 古くから、偉大なものの陰で恩恵・庇護を受ける意で、特に尊敬の接頭語「お」を付けて、神仏の加護を「お陰」といった。さらにそれに接尾語「さま」が付いて、あいさつ言葉となったもの。
 ◆ 尾頭付き(おかしらつき)
 尾と頭を付けたままの、丸ごと一匹の魚のこと。慶事での料理に用いる。 欠けることがなく、すべてがそろっていることから、神事の供え物や祝い事に用いられる。特に、鯛は姿・形・色がよく、その名も「めでたい」に通じることから、祝いの膳には欠かせない魚である。
 ◆ お門違い(おかどちがい)
 目指す場所を間違えること。見当違いなこと。 「門(かど)」は家の出入り口で、「もん」のこと。人の家を訪ねてきて、間違えて別の門に入ることから転じていうもの。
 ◆ お株を奪う
 人が得意とすることを他の者がその人以上にうまくやってしまうこと。 江戸時代の商工業者の独占的な同業組合を「株仲間」といい、その仕事をするための権利を「株」といった。 「株」は世襲・売買だれたことから、その人だけの特別な権利が生じ、さらにその人の得意とする技や芸を表すようになった。 相手を高める接頭語の「お」をつけた「お株」で、相手の得意技の意を表す。 また、ある人が得意とする技などを、 ほかの人がもっと上手にやることを「お株を奪う」という。
 ◆ 岡惚れ(おかぼれ)
 親しくしたことのない人や他人の恋人を、わきから恋すること。自分のほうだけがひそかに恋していること。また、その相手。 「おか」は傍(かたわ)らの意味で、小高いところの意の「岡」と同じ語源。「岡」は人々の生活の中心の場であった平地の傍らにあったので、そこから「わき」の意味が生じたのであろう。
 ◆ 岡目八目(おかめはちもく)
 当事者よりも第三者のほうが物事の本質・是非がわかるということ。 「岡」はかたわら、局外の意で、「岡目」は「傍目」とも書く。囲碁をそばで見ている人のほうが、打っている本人たちよりも八目も先が読めるという意。
 ◆ 岡持ち(おかもち)
 平たくて浅い桶(おけ)に、持ち手とふたがついたもの。おもに、料理を持ち運ぶのに用いる。 岡持ちの「岡」は、「岡惚れ」や「岡目八目」などと同じく、局外・脇といった意味。 おもに出前用に使うもので、魚屋や料理屋で料理したものを、「岡」にある家や店に「持ち」運ぶところからそう呼ばれるようになったものか。
 ◆ おから
 豆腐を作るとき、豆乳を絞ったあとに出るかすのこと。食物繊維を多く含み、火を通して食べることが多い。 搾りかすの「殻(から)」に丁寧語の「御」をつけたもので、女房詞のひとつ。
 ◆ お冠(おかんむり)
 機嫌が悪いこと。 「冠」は、頭に被るもの、特に、公家などが正装に用いた被り物のこと。 機嫌を悪くすることを「冠を曲げる」といい、略して「お冠」の形で用いる。 「つむじを曲げる」「へそを曲げる」というのと同様に、「曲げる」は本来の形をゆがめることから、気を損じた様子を表す。
 ◆ 掟(おきて)
 守るべきものとしてすでに定められている決まり、規則のこと。 語源は動詞「おきつ(掟つ)」の連用形から。 「おきつ」という動詞は、もとは心に決める、計画を立てるという意味であった。それが計画的に処置・管理し、指図・命令する意味に変化し、さらに従うべき指図・命令から、守るべき決まりへと意味が転じて、名詞「掟」が成立した。
 ◆ 奥様(おくさま)
 人の妻の敬称。 江戸時代、身分の高い武家の屋敷では、公務をする「表」の部屋に対して、生活する私的な部屋を「奥」といい、そこで内向きのことを取り仕切る女主人、妻のことをも差していった。 「奥様」とは、もとは身分の高い人の妻の敬称であったが、現在では広く一般に使われ、「奥さん」はそれよりも軽い敬称である。
 ◆ 奥手(おくて)
 人の成長が遅いこと。特に恋愛に関して未熟であること。 本来は、植物について成長が遅い品種をいう語であったが、そこから比喩的に人のことをいうようになったもの。 「奥」は現時点から見た将来のことで、ここは成長が将来のことになる、つまり成長が遅いこと。「手」は物の種類や分類を示す接尾語的な用法。
 ◆ おくびにも出さない
 物事を深く隠して、決して口に出さず、それらしいようすも見せないこと。 「?(おくび)」とは「げっぷ」のこと。 「少しも漏らさない」という例えで、言葉はもちろんげっぷも出さないことから。
 ◆奥床しい
 「奥床しい」とは、深みと品位があり、深い心遣いが見えて、なんとなく心を惹かれるという意味ですが、元々は、その奥にあるものに心を惹かれ、もっとその先を知りたい、という意味なのです。
 「ゆかし」は「行かし」で「知りたい」ということだそうです。
 ◆ お蔵入り(おくらいり)
 映画や演劇などで、企画や上演が取りやめになること。また、一般に計画が取りやめになること。 「お蔵」は、徳川幕府が直轄地から収納した米を保管する米蔵のことで、のちには商家の倉庫、質屋などのこともいった。米や品物が蔵にしまい込まれることから、企画や上演、計画などが日の目を見ることなく埋めれる意となった。
 ◆ 送り狼(おくりおおかみ)
 親切を装って女性を送っていき、相手に油断があればつけ入ろうとする者のこと。 本来は、狼の姿をした妖怪のことで、この狼は山中などで旅人の後ろをついて行き、旅人が転ばなければ何もしないが、転んだら噛み付くという。 なお、この「送る」は「人の後ろをついて行く」意で、「家に送り届ける」意ではない。 現代のような意味で使われるようになったのは、江戸時代になってから。
 ◆ おけらになる
 虫の「ケラ」が前足を広げている格好が、勝負に負けてお手上げになった状態と似ているところから、 有り金を使い果たし、無一文になってしまうこと。
 ◆ おこがましい
 身の程知らず。差し出がましい。 本来の語形は「をこがまし」で、意味も「ばかげている、みっともない」だった。愚かを意味する名刺「をこ」に接尾語「がまし」がついたもの。 なお、この「をこ」は「尾籠」とも書かれたため、のちにそれを音読みして「びろう」という和製漢語ができた。
 ◆ 奢る(おごる)
 程度を超えたぜいたくをすること。人にごちそうすること。 『平家物語』の「おごれる人も久しからず」のように、権威を誇り、得意になる意の「驕る」と同源の語であり、「あがる(上がる)」の母音交替形であるとされる。 また、ぜいたくをする意でも用いられ、江戸時代ごろから「人にごちそうする」意が生じた。
 ◆ おこわ
 もち米を蒸した米飯のこと。 もともとは女房詞であり、強飯(こわめし)ともいう。 歯ごたえがある飯の意の「強飯」の「こわ」に接頭語の「お」が付いたもの。 特に小豆を入れて蒸した赤飯を指していうことがあるが、山菜を入れた「山菜おこわ」などもある。
 ◆ おさおさ
 下に打ち消しを伴って、「ほとんど、まったく」の意を示す。 本来の語形は「をさをさ」で、名詞「長(おさ)」を重ねたもの。「をさをさ」自体は「きちんと、確かに」の意であるが、それが打ち消しを伴うと「まったく〜ない」という意味になる。
 ◆ お座なり(おざなり)
 その場だけの間に合わせ。いいかげんに物事をすまること。一時しのぎ。 「おざ」は「御座敷」、「なり」は有様・状態の意の「なり(形)」で、宴会の席で、その場逃れの取り繕った言動をする様子からできた語と考えられる。
 ◆ おさんどん
 台所仕事をすること。江戸時代には、台所で下働する下女の通称でもあった。 「さん」は数字の「三」。三女の意で、当時の女性の名に多かったことからとも、大奥で下女のいる三の間にちなむともいわれている。 その「三」に接頭語の「お」と、人を呼ぶときの接尾語「どん(殿の音変化)」が付いたもの。もとは上方で用いられていた言葉が江戸語に入ったとされる。
 ◆ お辞儀(おじぎ)
 頭を下げて礼をすること。頭を下げてする挨拶(あいさつ)。 「お」は接頭語。「辞儀」の表記は江戸時代からで、古くは「時宜」と書いた。「時宜」は物事を行うのにちょうどよい時機のことをいうのが原義。 平安時代には本来の意味で使われたが、鎌倉・室町時代になるとさまざまな意味で使われるようになった。ちょうどよい時間・頃合いの意味から、時間の意味が希薄になって、物事が成立するのにちょうどよい状況・事態の意味に移行し、さらに状況に対する考えや気持ち、状況を見極めて対処することを意味するようになった。 さらに、考えや気持ちなどを表す用法から積極的に物事に関わる意向の意味が派生し、この意向が他人への配慮や心配りになり、挨拶の意味になった。 挨拶に伴う動作の頭を下げる意味に限定されるのは、江戸時代後期からである。
 ◆ お仕着せ(おしきせ)
 上から一方的に与えられたり、決められたりすること。 江戸時代、幕府から諸役人や囚人に衣服を支給すること、また、民間では主人から奉公人に衣服を与えることを「仕着せ」といい、その衣服のこともいった。四季に応じて与えたことから「四季施」とも当てて書く。 上の者から一方的に与えられることから、型通りに物事が行われること、さらに転じて、決まりきっていることの意が生じた。
 ◆ おしめ
 乳幼児や病人などの股を覆って大小便を受ける布や紙。おむつ。 「お」は接頭語。「しめ」は湿布?(しめし)?の略でしめらせるものの意。「おしめ」の語形は明治以降とされる。 また、「おむつ」は、「むつき」が転じたもので、「むつき」は乳児の肌着、ふんどしの意味。
 ◆ おじや
 雑炊のこと。 一般的には「雑炊」を意味する女房詞とされるが、語源については諸説ある。 「じや」は、物が煮える音の「じやじや」からとも、時間をかけて煮るさまの「じやじや」からとも、スペイン語で鍋を意味する語「olla」(オジャ)によるという説などもある。 その「じや」に接頭語の「お」をつけたもの。
 ◆ お釈迦(おしゃか)
 ものを作り損なうこと。不良品のこと。 阿弥陀像を鋳るはずが、誤って釈迦像を鋳てしまったことから出た語とされる。 また、はだかのこと、勝負事に負けて無一文になることも「お釈迦」というが、これは、花まつりに水をかけられるお釈迦さまと同じように、裸にされることから出たといわれる。
 ◆ おしゃか
 鋳物職人が火力が強すぎて不良品ができると、「火が強かった」と言った。これを東京の人は、「ヒ」を「シ」と発音したので、「シガツヨカッタ」になり、いつの間にか「四月八日」に変わった。この日はお釈迦様の誕生日なので「おしゃか」になってしまった。
 ◆ おしゃま
 女の子が、年齢に似合わずませた言動をすること。 江戸時代に。「猫じゃ猫じゃとおしゃますが、猫が下駄はいて杖ついて、絞りの浴衣で来るものか」という俗謡が流行り、「おっしゃいます」の転じた「おしゃます」を「おしゃま」として猫の意味にも用いた。それが、ませた女の子の生意気な振る舞いや態度を平気で人前を横切る猫に例えて、おしゃまというようになった。
 ◆ おじゃんになる
 物事が途中でだめになる。失敗に終わる。 江戸時代に、家事の鎮火を知らせるために半鐘を「じゃんじゃん」と鳴らしたことから、「じゃん」に詠嘆の「おお」をつけて「おおじゃん」、それが「おじゃん」と略されて、終わる意となり、さらにだめになる意に転じた。
 ◆ お裾分け(おすそわけ)
 人からもらった物の一部を別の人に分け与えること。 「裾」は衣服の末端にあり重要な部分ではないことから、特に、上位の者が下位の者に品物を分け与えることを「裾分け」といい、それに接頭語の「お」が付いた言葉。現在では本来の上から下へという認識は薄れ、単に分け与える意味で用いることが多い。 ちなみに、身分・地位の上下に関係なく、福を分けるという意味で、「お福分け」という言い方もある。
 ◆ お墨付き(おすみつき)
 権威者の承諾や保証のこと、またはそれを記した文書のこと。 もとは、室町時代に将軍や大名が臣下に与えた領地安堵の保証書のことで、墨で署名と花押(かおう)を書いたことから「お墨付き」という。花押は名前を図案化したもので、書き判ともいう。今でいうサイン。
 ◆ お歳暮(おせいぼ)
 世話になった人への御礼の意味を込めて年末に贈り物をすること。また、その贈り物のこと。 「歳暮(せいぼ)」は文字通り「歳の暮れ」、つまり年末をさす漢語で、日本でも奈良時代から見える。 その後、江戸時代に日本独自の用法として、「歳暮の礼(年末の挨拶)」の省略形として「歳暮」が現れ、さらにその時の贈り物のことも「歳暮」というようになった。
 ◆ おせち
 正月につくる特別なご馳走のこと。「お節料理」の略。煮しめ・昆布巻・ごまめ・きんとん・かまぼこ・数の子・なます・伊達巻?(だてまき)?など。重箱に詰めておく。 「おせち」は漢字では「御節」と書く。 「節」とは、もとは季節の変わり目のことをいい、昔はその変わり目となる日にお祝いを行った。この日を「節日(せつにち)」といい、この節日につくられる神様への供え物を「節供(せちく)」といった。今日でも、端午の節句の粽(ちまき)や、柏餅にそれが残っている。 その節供としての食べ物を「御節」と呼ぶようになり、しだいに豪華な正月の料理に限定されるようになった。
 ◆ お膳立て(おぜんだて)
 ある事柄に備えて準備を整えること。また、その準備。 もともと江戸時代から「膳立て」という語があり、これは料理を載せる台である膳に、食器や料理を並べて人前に出させるような形にすることをさした。 明治時代になると、これに接頭語の「お」をつけた「お膳立て」の形が現れ、さらにこの「お膳立て」の意味が比喩的に広がって現在のような意味になった。
 ◆ 遅まきながら(おそまきながら)
 遅れて行うことを意味する表現。時機に遅れて。今さらではあるが。 「遅まき」とは、時節に遅れて種を蒔くことや、そうした品種のことをいった。 やがて、種を蒔くことに限らず、時機に遅れた様子も表すようになり、現代では「遅まきながら…する」の形で使われ、何かをする時機が遅くなったことを意味するようになった。
 ◆ 恐らくは(おそらくは)
 確度の高い推量を表す語。きっと。多分。 動詞「おそる」から、ク語法によって「おそるらく」、さらに転じて「おそらく」という名詞(恐れることの意)ができ、それに係助詞「は」の付いて一語化したもの。 一語化する前は、文字通り「恐れることは〜だ、気がかりなことは〜だ」という意味であったが、恐れることとか気がかりなことというのは予測・予想である場合が多いので、そこから、「多分〜だ」という意味の副詞用法が派生した。
 ◆ お陀仏(おだぶつ)
 死ぬこと。また、物事がだめになること。 「陀仏」は、「阿弥陀仏(あみだぶつ)」の略。臨終に際し、極楽往生を願って「南無阿弥陀仏」と唱えることから出たことば。 仏になること(死ぬこと)が、転じておしまいになること、だめになることの意でも使われるようになったもの。
 ◆ 小田原提灯(おだわらぢょうちん)
 細長い円筒形をしていて、伸ばしたりたたんだりすることができる、携帯のできる提灯。 室町時代の天文年間(1532〜1555)に、東海道の宿場町であった小田原で、旅人が携帯するのに便利なようにと、地元の職人・甚左衛門が、畳んだ時に胴の部分が蓋に収まるように作ったのが最初といわれ、これがこの語の語源とされている。
 ◆ 小田原評定(おだわらひょうじょう)
 いつになっても結論の出ない会議や相談。 1590年、豊臣秀吉が小田原城を攻めたとき、北条側は城中にこもる籠城か、野戦をしかけるか、和睦するかを相談したが、なかなか結論が出なかったことに由来する。
 ◆ 落ちこぼれ
 社会生活で取り残されること。また、その人。特に、学校の授業についていけない児童・生徒に用いられる。 もとは、稲の落ち葉など落ちて散らばったもの、また残り物のことをいう言葉。
 ◆ 落ち度(おちど)
 あやまち、過失。 もとは「越度」と書いて「おつど」「おちど」と読まれていて、字の通り「度を越す」という意味だった。中世には、許可なしに関所を越え渡る、関所破りのことをいい、のちに「度」は制度の意味を表し、度(のり)を超える、すなわち罪を犯す、違法な行いを示すようになった。過失の意味を表すようになったのは、明治以降。
 ◆ お茶を濁す
 かつて、お茶は大変貴重なものであり、貴族や僧侶だけの特別な飲み物でした。 茶道の作法を知らない一般人が程よく茶を濁らせて、それらしい抹茶に見えるように取り繕ったことから、この表現が生まれたそうです。
 また、客が来なくて暇な様子を「お茶を引く」と表現しますが、これも昔のお茶にまつわる由来があります。
 昔、客のつかない遊女が、客に出す茶を茶臼で引いて時間をつぶしていたことから、その日の仕事にあぶれて暇な様子を「お茶を引く」と表現するようになったそうです。
 ◆ お茶の子さいさい
 物事をたやすくできることのたとえ。 「お茶の子」は、お茶のときに添えて出される菓子で、腹にたまらず、簡単に食べることができるためこういわれる。「さいさい」は俗謡の囃子詞(はやしことば)「のんこさいさい」をもじったもの。
 ◆ お中元(おちゅうげん)
 世話になった人々に、中元の時期に贈り物をする習慣のこと。 もともとは中国の道教による習俗で、半年無事に過ごせたことを祝う日であったが、仏教の盂蘭盆会(うらぼんえ)と混同され、種々の仏事が行われる。 お中元の時期は、東日本(特に関東)では7月15日、西日本(特に関西)では8月15日だが、全国的には7月15日が標準とされ、8月15日のお中元を「月遅れ」と呼ぶ。ただし、贈り物はこの日付ちょうどでなくとも、この日付までに送ればよく、少々の遅れも格段問題とはされず、「月初めから15日ごろまで」とされる。
 ◆ 乙(おつ)
 「しゃれている」とか「気の利いた」という意味で使われる。 もとは邦楽で、高い音域の音の「甲(かん)」より一段低い音のこと。甲に比べて落ち着きや渋みがあることからたとえていう。
 ◆ 億劫(おっくう)
 面倒くさくて気の進まないこと。仏教では「おっこう」とも読む。 「劫」は極めて長い時間の単位で、「億劫」はその1億倍、すなわち、気の遠くなるような長い時間を意味する。長時間かかわることはわずらわしく、やる気がでなくなることから、たとえていうようになった。
 ◆ おっちょこちょい
 よく考えずに軽々しく行動すること。また、そういう人。 「ちょこちょい」は落ち着きなく動き回るさまをいう「ちょこちょこ」が音変化したもの。 また、「ちょこ」は「ちょこちょこ」の略で、「ちょい」はわずか、少しの意の副詞をする説もある。 「おっ」については、単に感動詞、あるいは接頭語の「お」からともいわれている。
 ◆ 押っ取り刀(おっとりがたな)
 取るものも取りあえず急ぐこと。 「押っ取る」は「おしとる」の変化した語で、勢いよくつかみとる意味。武士が緊急事態のときに、刀を腰に差すひまもなく、手につかみ持ったまま現場に急行するさまからたとえていうもの。
 ◆ お局様(おつぼねさま)
 職場で、長く勤める女性社員をからかっていう言葉。 「局(つぼね)」とは、宮中や公家・武家などに仕える局(部屋)を与えられた身分の高い女官のこと。 江戸時代には、大奥の奥女中のことをいい、3代将軍・徳川家光の乳母「春日局(かすがのつぼね)」がよく知られる。権力者の陰で実権を握ることもあったことから、社内で古株として権力をもつ女性社員のことをいうようになった。
 ◆ おつむ
 あたま。主に幼児に対して用いる。また、「おつむがいい」など知能のこともいう。 「おつむり」を略したもので、もとは宮中の女官が用いた女房詞。頭の意の「つむり」に接頭語の「お」がついたもの。 「つむり」は古くは「つぶり」といった。「つぶり」は、丸くて小さいものの意の「つぶ(粒)」と同源とされ、丸いものをいう語であったが、頭の意にも用いられるようになったもの。
 ◆ お釣り(おつり)
 釣り銭のこと。 「釣り」は「釣り銭」の略で、「釣り合い」の意味からきている。物々交換をしていた時代に、多く取りすぎるとあとから超過分に相当するものを相手に返す慣わしがあった。そこから、お互いの損得の「釣り合い」を調整し、多すぎた分を返す意味で、「釣り」というようになった。
 ◆ お手盛り(おてもり)
 自分の地位や立場を利用して、自分に都合のよいように取り計らうこと。 「手盛り」はもとは自分で食べ物を食器に盛ることで、好きなだけ盛ることができることから転じていうもの。 「お手盛りの予算編成」のように、特に役人などが自分たちに都合のよいようにするときに用いることが多く、「お手盛り」と「お」をつけていうのは皮肉の意味合いが強い。
 ◆ おでん
 大根やこんにゃく、がんもどき、はんぺんなどを醤油の出汁で煮込んだもの。 「おでん」は元々、田楽を意味する女房詞。「田楽」の「でん」に接頭語の「お」が付いたもの。 江戸時代までは、串に刺した豆腐やこんにゃく、野菜などに味噌を塗ってあぶり焼きにしたものをいった。近世に入ると、江戸では串刺しのこんにゃくを煮るようになり、さらに大根や練り物などもいっしょに煮込んだものが登場すると、これを「おでん」と呼ぶようになった。 ちなみに、関西では煮込みおでんのことを焼き田楽と区別して「関東煮(だ)き」と呼ぶことがある。
 ◆ お伽話(おとぎばなし)
 大人が子供に語って聞かせる昔話や童話。また、比喩的に、現実離れした空想的な話。御伽噺。 「とぎ」は話の相手をして退屈を慰めること。「お」は接頭語で、「おとぎ」は貴人のそばに仕えて話をし、無聊(ぶりょう)を慰めることを言い、もとは大人が大人に話して聞かせるものだった。 現在のような意味になるのは明治になってから。
 ◆ 男前(おとこまえ)
 男として見映えがよいこと。 「前」は人体をさす語について、「腕前」のように、それに関する機能や状態を示す名詞をつくる。 「男前」も本来は「男としてのあり方、姿」の意で、良し悪しの判断は含まれていないが、普通は「男前が良い」意で使われる。
 ◆ お年玉
 新年のお祝いの贈り物。現在では、主に子供に与える金銭のことをいう。 「お年玉」の「お」は接頭語。「年玉」は室町時代から見えはじめ、当時は掛け物や茶碗・扇など、種々の物が贈り物として用いられたが、必ずしも豪華な物である必要はなく、質素なものでもよかった。 「年玉」の語源は、歳神(としがみ)様による「年」の始めの「賜」物であるからとする説が有力。また、そのとき贈る餅が丸い玉の形をしていたからという説もある。
 ◆ 落とし前(おとしまえ)
 失敗や無礼の後始末をつけること。また、そのための金品。 本来は、テキ屋などの隠語で、露店の商品の値段について客と話をつけることをいった。「落とす」は決着させるの意、「前」は分け前の「前」と同じく金額の意で、「決着させる金額」というのが「落とし前」の原義。 そこから、「話をつけること」、さらに「後始末をつけること」をさすようになった。
 ◆ 一昨日(おととい)
 きのうの前の日。 「おとつい」が音変化したもので、現在でも方言で使われる地方もある。 「おとつい」はさらに古くは「をとつひ」で、「をと」は古語「をち(遠)」と同源の語で、遠方の意。「つ」は連帯助詞で、現代語の助詞「の」の意。「ひ」は「日」。すなわち、「おととい」は本来は「遠方の日」という意味であった。
 ◆ おとなしい
 性質がおだやかで、落ち着いている、また、静かにじっとしているさまをいう。 「おとな(大人)」の形容詞化した言葉。本来は、一族の長またわ年長者として思慮分別があることをいい、また、成人して一人前になる意味で用いられていた。
 ◆ 踊り場(おどりば)
 階段の途中に設けられたやや広い平らな場所。二つ折りの階段の場合は必然的にこのような場所ができるが、それ以外でも足休めや落下防止のために「踊り場」が設けられることが多い。 明治時代に、途中に平らな場所がある西洋建築の階段が紹介され、その平らな場所をさすために、本来は文字通り「踊りをする平らな場所」をさしていた「踊り場」という語が流用されたもの。 近年では経済用語として用いられることもあり、景気が上昇する局面で、景気の回復が鈍り、横ばいの状態にあるときに使われる。
 ◆ おなら
 屁のこと。肛門から放出されるガスで、飲み込んだ空気や、腸の内容物の発酵で生じる。 「お」は接頭語、「なら」は「鳴らす(し)」を最後まで言わず婉曲に表現したもの。 古来、恥ずかしいものの代表的存在で、笑話の類によく登場する。
 ◆ 鬼の霍乱(おにのかくらん)
 ふだん丈夫で、病気などしない人が珍しく病気になること。 「鬼」は強くて、丈夫な者の象徴。「霍乱」は漢方の用語で、日射病や夏に激しい下痢を起こす急性の病気のこと。つまり、鬼が病気になるれば誰でもびっくりするところから、いつも丈夫で健康な人が病気になったときに使われるようになった。
 ◆ 御萩(おはぎ)
 もち米とうるち米とをまぜて炊き、軽くついて丸め、小豆の餡などをつけた菓子。 名前の由来は、萩や牡丹の花に似ているからという説と、春の彼岸の牡丹が咲く時期と、秋の彼岸の萩が咲く時期に作るからという説がある。
 ◆ 十八番(おはこ)
 最も得意とする芸や技。また、その人のよくやる動作や口癖。「じゅうはちばん」とも。 江戸歌舞伎の七代目市川団十郎が1832年(天保3年)に選定し、家の芸とした「歌舞伎十八番」からでた言葉。 「おはこ」と呼ぶのは、秘蔵の得意技として代々受け継がれ、台本を大切に箱に保管していたことからといわれる。または、書画・骨董の品質を保証して、鑑定家あるいは作者本人が箱に記す「箱書き」の意からともいわれている。
 ◆ おはよう
 朝、人に会ったときに使うあいさつの言葉。 形容詞「早い」の連用形「はやく」が「はやう(はよう)」とウ音便化し、それに丁寧の意を表す接頭語「お」が付いた語。 もとは、相手が速く出てきたことに対するあいさつの言葉で、「お早いですね」といった意味で用いられていた。 朝のあいさつ言葉となったのは、江戸時代後期からとされる。
 ◆ お払い箱
 お払い箱は、本来「お祓い箱」と書き、毎年歳末に伊勢神宮で信者に配られるお祓いの札を入れておく箱を意味していました。
 この「お祓い箱」には、お札や薬などが入っていて、「御祓いを受けたとてもありがたい箱」ということで誰もが大切にしていたそうです。
 ところが、毎年新しい札の入った新しい箱が配られるので、古いお祓い箱は不要なものなどを入れる箱として使われました。
 ここから、不要になった物を捨てることを「お祓い箱」と言うようになり、のちに当て字で「お払い箱」と表記され、解雇などの意味を含むようになったそうです。
 ◆ お彼岸(おひがん)
 春分の日、秋分の日を中日として、その前後3日を加えた7日間。 「彼岸」は、仏教で生死の海を渡った向こう岸の意味で、悟りの世界、涅槃、いわゆるあの世のこと。
 ◆ お開き(おひらき)
 宴会や会合などを閉会すること。とくに祝宴のときなどに、「終わる」「お仕舞いにする」などの表現を避けるために用いる語。 動詞「開く」の連用形に接頭語「お」がついた語。本来は武士詞で、退陣する、退却するなどの忌詞(いみことば)として使われた。近世までは帰る、去るの意で用いられ、明治以降に散開の意となった。
 ◆ おふくろ
 母親を親しんで言う語。古くは敬称として用いたが、現在では主に男性が自分の母親をいうときに使う。 「お」は接頭語。「ふくろ」は、子宮や胞衣(えな)をふくろということから、それが転じて母親そのものをいうようになったとされる。また、子供は母の懐で育つので、「ふところ」が転じたとする説もある。
 ◆ おべんちゃら
 口先で機嫌を取ること。また、そのときの軽薄なお世辞。 「お」は接頭語で、「べんちゃら」は「弁が立つ」などの「べん」に、「出まかせ・冗談」の意の「ちゃら」が付いたもの。 「べんちゃら」は江戸時代よりみえるが、「おべんちゃら」は明治時代以降に使われるようになった。
 ◆ おみおつけ
 味噌汁を丁寧にいう語。 「おつけ」は動詞「つける」の連用形「つけ」が名詞化したものに、接頭語「お」をつけた女房詞で、本膳で飯に並べてつける汁の意。 それにさらに尊敬の意の接頭語「お」「み」のついた語。御御御付。 また、味噌を意味する女房詞「おみ」に「おつけ」が付いたとする説もある。
 ◆ お神酒(おみき)
 神前に供える酒。 「みき」という語は、酒を意味する「き(酒)」に、神仏や天皇に用いる尊敬の接頭語「み(御)」がついたもの。それにさらに接頭語の「お」がついて「おみき」となった。 「お神酒」の表記は、神前に供える酒ということからできたもの。
 ◆ おめでとう
 新年や吉日など、めでたいことを祝って言う言葉。 形容詞「めでたい」の連用形「めでたく」が「めでたう(めでとう)」とウ音便化した語。「お」は丁寧の意を表す接頭語。 「お目出度う」「お芽出度う」と書くのは、目(芽)が出ることが喜ばしいということからの当て字。 ちなみに、「めでたい」は動詞「愛(め)でる」の連用形「めで」に、程度が甚だしいの意の形容詞「いたし」が付いた「めでいたし」が変化した語で、原義は対象に心惹かれ、感動詞たり愛したりする気持ちになっていることを表す。
 ◆ 思う壺(おもうつぼ)
 意図した状態。また、たくらんだとおりになること。 「壺」は、博打でサイコロを入れて振る壺皿のこと。腕のいい壺振りになる、思った通りにサイコロの目を出せることから、たとえていうようになった。
 ◆ 面白い(おもしろい)
 心が引かれるさま。興味深い。楽しくて、愉快。普通と違っていてめずらしい。 古くから「見て楽しい、心地良い」の意で使われたが、原義は「おも(面)+しろし(白し)」で、本来は目の前が明るくなる感じをいった語。
 ◆ おもちゃ
 子どもの遊び道具。 手に持って遊ぶ意味で、「持ち遊び」が「もちゃそび」に、さらに「もちゃ」となり、接頭語の「お」がついたもの。もとは幼児語。
 ◆ 親玉(おやだま)
 仲間の中心になる人物。頭(かしら)。 本来は、数珠(じゅず)の中心にある大きな玉のこと。その玉の周りに小さな玉をるないで、一連の数珠が作られる。ここから転じ、団体・組織における中心的人物を親玉と呼ぶようになった。
 ◆ おやつ
 時刻の「八つ」(2時)からきたことばで、間食をすること。またその食べ物の両方を指す。
 昔から午後のこの時刻に、お菓子や果物などの間食をする習慣があったことから、間食を「お八つ」と呼ぶようになった。
 現在は時刻にかかわらず、三回の食事以外に食べることをいうようになっている。
 ◆ 及び腰(およびごし)
 自信のない、おどおどしたような態度。 遠くにある物を取るときに、腰を曲げて手を伸ばした、宙に浮くような姿勢がいかにも不安定そうでふらふらしていることからのたとえ。 もともとは、姿勢についてのみいった言葉だが、自信のない時にとる姿勢であることや、不安定な状態の意味から、自信なさげな態度や心理状態についても用いられるようになった。 屁をふる腰つきから、「へっぴり腰」ともいう。
 ◆ 俺(おれ)
 一人称の人代名詞。主に男性が同輩または目下に対して用いる。 現在は主に男性のみを表すが、元来は、貴賎男女の別なく使われていた。 「おのれ」の略で、古くは二人称として下位の者に軽蔑の意味を込めて用いられていた。
 ◆ 温故知新(おんこちしん)
 昔のことを、もう一度調べたり考えたりして、新しい論理や意義を見いだし活用すること。 「温」はたずねる、研究する意。「故」は古と同じ。つまり「温故知新」とは、故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知ること。 出典は『論語』で、孔子が師となる条件を述べたことば。