*** 「言葉の由来 辞典」  ま行 ***

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  *** ま ***

 ◆ 参る(まいる)
 「行く」「来る」の意の謙譲語。また、自分や自分の側の動作のへりくだる気持ちをこめて丁重に表現する丁寧語。さらには、相手を自分より数段上に見て、「負ける」という意の用法もある。
 上一段活用動詞「まゐる」に「いる(入る)」の付いた「まゐいる」が音変化して「まいる」となったもの。「まゐる」は宮廷や神社な高貴な人のところなど、多くの人が集まる尊貴な場所へ行くこと。「いる」はある建物や場所など、一定の区域の外から内部へ進み入ること。したがって、「まいる」は、宮中や神社などに参入する、というのが原義。それから、高貴な人のところへ参上する、何かを持って参上するなど、その人物の動作のおよぶ相手に対する敬意を表現するようにもなった。
 ◆ 前頭(まえがしら)
 相撲で、幕内力士のうち横綱・三役(大関・関脇・小結)の下に位置する階級。平幕。
 まだ番付に載らない入門したての力士である「前相撲」に対する頭(かしら)の意からとされる。 また、「幕内」と呼ばれる上位力士に対し、それより下の力士を通称「前」といったことから、その頭の意味で幕内力士を「前頭」と呼ぶようになったとする説もある。
 ◆ 勾玉(まがたま)
 縄文時代から古墳時代にわたってつくられた装身具の一つ。硬玉・瑪瑙(めのう)・水晶・琥珀(こはく)などを材料とし、多くは、Cの字形またはコの字形に湾曲した、玉から尾が出たような形をしている。曲玉。
 語源は「曲っている玉」から来ているという説が有力。「勾」は曲がるの意。
 ◆ 間が抜ける
 肝心なところが抜けていること。
 「間」は邦楽・舞踊・演劇などで、音と音、動作と動作、セリフとセリフの間に入れる休止のこと。また、拍子やリズムのことをいう。その間が抜けるとは、演奏や演技で拍子がぬけることをいい、転じて、肝心なところが抜けるという意味になった。
 ◆ 摩訶不思議(まかふしぎ)
 非常に不思議なこと。また、そのさま。
 「摩訶」は「偉大な」の意のサンスクリット語の「maha」の音訳で、大いなる、素晴らしい、偉大などの意にも用いられる。 摩訶不思議も本来は、非常に不思議というよりは、人智を超えたすばらしさを意味した言葉であった。
 ◆ 幕切れ(まくぎれ)
 物事が終わること。
 もとは芝居で、一幕が終わって幕が下りること。同類の言葉で、物事を終わりにすることを「幕引き」というが、これは幕を引いて芝居を終えることからいう言葉。
 ◆ 幕の内弁当(まくのうちべんとう)
 小さな俵型のおむすびに、おかずを添えたお弁当のこと。
 「幕の内」は芝居見物で、一幕が終わって次の場面に移るまでの、幕が下りている間のこと。その幕間に弁当を食べることからいうもので、食べやすいように工夫されている。
 ◆ 紛れ(まぐれ)
 偶然にそうなること。まぐれあたり。
 動詞「まぐれる(紛れる)」の名詞形。 「まぐれ」は「ま(目)+くれる(昏れる・暗れる)」で、目が見えないこと、目がくらむことからきた語と考えられる。 この語は「紛れ当たり」や「紛れ幸い」など、他の言葉を伴って用いられることにより、思いがけずある明確な結果を生む言葉として用いられるようになり、さらに「紛れ」だけで現在の意を表すようになった。
 ◆ 孫の手(まごのて)
 背中など手の届かない所を掻く際に用いる道具。
 中国の伝説上の仙女「麻姑(まこ)」に由来する。この仙女の手は鳥のような長い爪をしていて、それでかゆい所を掻いてもらうと気持ちがよかったことから、かゆい所を掻く棒を「麻姑」と呼んだ。その「まこ」と「孫」の音が似ていることや、棒の先の小さな手の形が孫を連想することから、「孫の手」と呼ばれるようになった。
 ◆ まさか
 (あとに打消しや反語の表現を伴って)打消しの推量を強める。よもや。いくら何でも。
 語源については、「まさき(目先)」から転じたものとされる。 本来は名詞として使われ、目の前のこと、すなわち「現実」とか「現在」を意味する語だった。 ここから、「まさかの時(事が目前に迫ること、つまり緊急)」のような用法が派生し、そこからさらに「よもや」という副詞用法が生じた。
 ◆ 真面目(まじめ)
 うそやいいかげんなところがなく、真剣であること。誠実であること。また、そのさま。
 真面目の「まじ」は、「まじまじ」などの「まじ」と同じで、目をしばたたくさま、まばたきをするさまをいう。「め」は「目」の意 そこから真面目顔は、通常、精神の緊張による真剣な顔つきをいったが、状況によっては、めをしばたたくだけで口もきけないという状態から、近世には、おびえ顔の硬い表情や白け顔などをもいった。
 ◆ 間尺に合わない(ましゃくにあわない)
 損得勘定をすると割に合わない、努力に見合うだけの利益がないこと。
 「間尺」は建物や家具などの寸法の単位で、「間(けん)」と「尺(しゃく)」のこと。 「間尺に合わない」とは本来は寸法が合わないことをいうが、転じて、計算が合わない意味になり、さらに割に合わない意味に用いられるようになった。
 ◆ 麻雀(まーじゃん)
 中国起源のテーブルゲーム。4人のプレイヤーが136枚あまりの牌を引いて、役を揃えて点数を競うゲーム。
 「麻雀」とは中国語でスズメのことで、このゲームを麻布の上で行ったことと、竹製の牌を混ぜる時の音が雀の鳴き声に似ていることから付けられたとされる。 現在の中国語においては、麻雀のことを「麻将」と呼ぶのが一般的である。
 ◆ またぞろ
 すでにあることと同類のことが起こること。あきれた気持ちや一種のおかしみを込めていう。またしても。またもや。
 副詞「また」に「候(そうろ)う」がついた「また候う」が変化した語で、「またございます」が原義。「また」に呆れた感じや、滑稽な感じが伴ったことば。
 ◆ 真っ向(まっこう)
 真正面。「真っ向勝負」などと使う。「真っ甲」とも書くが、ともに当て字。
 この語はほかに、額の真ん中や兜(かぶと)の鉢の前正面の意があり、ここから真正面の意で用いるようになったとされる。 この「真っ向」は冠や烏帽子(えぼし)に紅の絹で鉢巻きをして後ろで結んだ「まっかく(抹額)」が音変化したもの。
 ◆ 待ったをかける
 進行を一時止めること。
 「待った」とは、囲碁や将棋で、相手が指した手を待ってほしいときに発する掛け声のこと。相撲でも、相手に立ち合いを待ってもらうときに使われる。
 ◆ 全く(まったく)
 完全にその状態になっているさま。すっかり。
 形容詞「またし(全し)」が促音化して「まったし」となり、その連用形「まったく」が副詞として使われるよういなったもの。 また、それがさらにウ音便化して「事をまっとうする」「まっとうに育つ」という表現も生まれた。 形容詞「またし」は、古くはおもに命や肉体が完全(健全)であるの意であったが、その後しだいに、「物事が完璧だ」「性格が正直だ」という意味も表すようになった。
 ◆ 抹茶(まっちゃ)
 茶の新芽を摘んで精製した葉茶を、臼でひいて粉末にしたもの。茶の湯で使われ、湯を注いで茶筅で泡立てたものも抹茶という。粉茶(こなちゃ)・挽茶(ひきちゃ)・散茶(さんちゃ)とも。
 「抹」には擦る、あるいは粉の意があり、「抹茶」は擦って粉状にした茶の意の漢語。
 ◆ 松前漬け(まつまえづけ)
 細切りにした昆布やするめに数の子・ニンジンなどを加え、みりんと醤油で漬け込んだ料理のこと。
 北海道南西部の松前地方は昆布の名産地であったことから、昆布のことを俗に松前と呼び、昆布を使った料理には「松前」がつけられるようになったもの。
 ◆ 窓際族(まどぎわぞく)
 会社内で管理職や実務から外れ、閑職にある中高年層の人のこと。
 1977年(昭和52年)の北海道新聞のコラムで、実質的な仕事を与えられず、窓ぎわの席で日々新聞を読んだり外をぼんやり眺めている光景を「窓際おじさん」と呼んだことが由来とされる。 また、1978年の日本経済新聞で、OLの雑談中にあった言葉として窓際族を紹介している。
 ◆ 的外れ(まとはずれ)
 的確に要点をとらえてない、見当外れなこと。
 「的」は、弓や鉄砲などの練習をするときに目標にするもの。「的外れ」は放った矢や弾が的を外れる意で、言動が核心をついていない、的確でないことのたとえにいう。 反対に、的確に要点をとらえることをは「的を射る」という。
 ◆ まどろむ
 少しの間浅く眠る。うとうとする。微睡む。
 語構成は「目(ま)」+「とろむ」で、目がとろんとなる意から、浅く眠る意になったとされる。
 ◆ まな板
 食材を切るときに用いる板。俎板。
 「まな」とは「真魚」で、食用の魚のこと。つまり、魚を料理する板という意味。 「俎板」とも「俎」とも書くが、「俎」という漢字は、偏が「肉」を、旁が「台」を示す字であり、肉を調理する台という意味もある。
 ◆ まな板の鯉(まないたのこい)
 自分の力ではどうすることもできず、相手のなすがままになるしかない状態。また、覚悟を決めて、見苦しく騒いだりしないことのたとえ。
 まな板の上の鯉は、ただ調理されるのをじっと待つしかないことからのたとえ。。 また、鯉はまな板の上にのせるとまったく動かないといわれ、そこから、死ぬ運命を潔く待つたとえとしても使われる。
 ◆ 間抜け まぬけ
 考えや行動に抜かりがあること。また、そういう人をののしっていう。
 「間」は邦楽・舞踊・芝居などで、音と音、動作と動作、台詞と台詞の間に入れる休止のことで、その長短がリズムを生み、一連の流れの中で重要な役割をはたす。 その間が抜けることは、「拍子抜けする」「調子が崩れる」ことであり、テンポが合わないことを意味し、転じて、考えや行動に抜かりがある意味となり、さらに愚鈍な人をののしる言葉になった。
 ◆ 瞬き(まばたき)
 まぶたを瞬間的に閉じて、またすぐ開くこと。
 動詞「まばたく」の連用形が名詞化したもの。語構成は「ま(目)」+「はたく(叩く)」。「ま」は目は複合語の中で用いられるときの形、「はたく」は叩く意の動詞。
 ◆ まぶしい
 光が強すぎて、まともに見にくい。まばゆい。
 「まぶしい」の語源は「まぼそい(目細い)」で、光が強いために目を細めるの意。 「まぼそい」から「まぼしい」となり、さらに「まぶしい」と変化した。 なお、古くは「まばゆし」が用いられた。これは「目映ゆし」で、強い光に目がちらちらすることであった。「まばゆい」は現在でも使われるが、やや文語化している。
 ◆ 魔法瓶(まほうびん)
 中に入れたものの温度を長時間保つ、保温・保冷用の容器。
 1881年、ドイツのヴァインホルトが原理を発見し、さらに同年、イギリスのデュワーが二重壁ガラス瓶を製作した。1904年には、ドイツのテルモス社が商品化に成功し、商品名は「テルモス」(サーモス)と名付けられた。 1911年(明治44年)、ドイツから日本に輸入され、翌年には国内で八木亭二郎が製造。 温度が保たれるのが魔法のようであることから、「魔法瓶」と命名された。
 ◆ ままごと
 子供の遊びで、食事を作ったり、家庭生活のまねをすること。
 「まま」は「飯」の意の幼児語で、「うまうま」が「まんま」、さらに「まま」へと変化した語。「ごと」は「事」の意。
 ◆ 蝮(まむし)
 クサリヘビ科の毒蛇。体長約70センチ。日本のほぼ全域に棲む唯一の毒蛇。くちばみ。はみ。日本まむし。
 「まむし」は、「虫」に「本当・真実」の意の接頭語「ま(真)」がついたもの。この「ま」は、マダイ(真鯛)やマイワシ(真鰯)の「ま」で、その類の中で最も真性のという意味を表す。毒をもち、最も恐ろしい虫というところから、虫の中の虫として名づけられたとされる。 古名はハミ。「食(は)み」の意からとされる。
 ◆ 眉唾物(まゆつばもの)
 だまされる心配のある疑わしいこと。信用できないもの。略して「眉唾」ともいう。
 眉に唾をつけると、キツネやタヌキに化かされないという俗信があり、江戸時代には「眉に唾をつける」とか「眉に唾をぬる」などと言った。それがもとになり、明治時代ごろから「眉唾物」という言い方が生まれた。
 ◆ まるで
 あたかも。さながら。すっかり。まったく。
 円形を表す「丸(まる)」に由来する語。 丸は室町時代に現れ、円形は欠けることがないことから、「完全・全部」の意を表すようになった。 江戸時代には「まるで」の形で完全に似ているさまを表して「あたかも」の意が生じた。 さらに、明治時代になると、「まるでだめだ」のように、下に否定な語を伴って完全な状態であることを強めていう「まったく、全然」の意も生じた。
 ◆ 漫才(まんざい)
 二人の芸人がおもしろい仕草や言葉のやりとりで観客を笑わせる演芸。
 新年に太夫(たゆう)と才蔵(さいぞう)が二人一組で家々を訪れて、祝いの歌舞を演じる「万蔵(まんざい)」に由来する。 近世に、二人の芸人が滑稽な掛け合いをする演芸となり、昭和初期に現在のスタイルを確立。1933年(昭和8年)に、吉本興業の宣伝誌の中で「万蔵」から「漫才」に改称された。
 ◆ 饅頭(まんじゅう)
 小麦粉・米粉・そば粉などにふくらし粉と水を加えてこれ、発酵させた皮にあんを包み、下腹部を平らに、上部を丸く形づくり蒸した菓子。
 中国の「饅頭(マントウ)」が起源で、「頭」を「じゅう」と読むのは唐音。中国ではあんを入れないのがふつう。 日本には鎌倉時代に伝わり、南北朝時代になって中国から帰化した林浄因(りんじょういん)が奈良で作って売り出し、一般に広まったとされる。
 ◆ 曼珠沙華(まんじゅしゃげ)
 彼岸花の別名。
 サンスクリット語manj??akaの音写。もともとは天上界に咲く小さな赤い花(一説には白い花)をさし、四華(しけ)の一つという。四華とは天から降るという四種の蓮華花で、曼陀羅華・摩訶曼陀羅華・曼珠沙華・摩訶曼陀羅華のこと。 法華経が説かれる際、めでたい前兆として天から雨が降り、その雨を見るものは悪業を離れ、固い心を柔軟にするといわれる。
 ◆ 曼荼羅(まんだら)
 仏教(特に密教)において、仏の悟りの世界、聖域、世界観などを仏像、シンボル、文字、神々などを用いて視覚的・象徴的に表したもの。「曼陀羅」とも書く。
 サンスクリット語ma??alaの音を漢字で表したもの(音訳)で、漢字自体には意味はない。ma??alaは、形容詞で「丸い」という意味があり、円は完全・円満などの意味があることから、これが語源とされる。
 ◆ 万年筆(まんねんひつ)
 ペン軸の中にインクを貯え、それをペン先に供給することで長時間の使用が可能な携帯用筆記具。
 1883年に、アメリカのルイス・エドソン・ウォーターマンが最初の実用的万年筆を発明した。日本には1884年(明治17年)に初めて輸入された。「万年筆」という名称は、1884年に日本初の国産万年筆を模作した大野徳三郎と言われている。 読みは、明治末期まで「まんねんふで」が使われていたが、その後「まんねんひつ」が広く使われるようになっていった。
 ◆ 万引き(まんびき)
 客のふりをして店から商品を盗むこと。また、その者。
 「万引き」は、「間引き」から転じたもので、物と物のあいだ・すきまを意味する「ま(間)」に撥音「ん」がついて「まん」となったもの。「万」は当て字。
 ◆ 満遍なく(まんべんなく)
 全体に余す所なく行き渡っている様子。
 「満遍」は仏教語で、平均・平等の意味。転じて、行き渡ることを表すようになった。 「満遍」だけで同様の意味にもあり、「満遍なく」の「なく」は否定の活用語尾ではなく、「満遍ない」の連用形。この「ない」は、意味を強調して形容詞化する接尾語で、「滅相もない」「途方もない」の「ない」と同じ。
 ◆ まんまと
 とてもうまく。首尾よく。ものの見事に。
 形容詞「うまい」の語幹「うま」を重ねて強調しそれに「と」が付いた、「うまうまと」が音変化したもの。
 ◆ 満を持す(まんをじす)
 準備を十分にして機会を待つこと。
 「満」とは、弓をいっぱいに引きしぼったさまで、「持す」は状態を長く保つ意。すなわち、目標に向かって弓を引きしぼったままの状態で矢を放たずに待つこと。そこから、準備を完全にして好機の到来するのを待つ意に転じた。 出典は中国『史記』の「越王勾践世家」の「満を持する者には天の助けがある」という故事に基づく。

  *** み ***

 ◆ 見得を切る(みえをきる)
 ことさら自分を誇示するような態度をとること。
 「見得」は歌舞伎で、役者が感情の高まりを示すために、一瞬動きを止めて、目立った姿勢や表情をすることで、その所作を「見得を切る」という。その様子がいかにも大げさなことから、一般的に比喩として用いられる。 「見得」は当て字で、本来は「見え」。つまり見えるさま、外観の意味。
 ◆ 味方(みかた)
 自分の属する軍勢や同志・仲間のこと。また、自分を支持・応援してくれる人。
 「みかた」の「み」は敬意を表す接頭語。「かた」は一定の方向をさす語で、ここでは対立するものの一方の側をいう。 本来「みかた」とは「かた」の敬称で、天皇の側を意味し、それが天皇の軍勢、朝廷の軍隊の意に用いられ、古くは「御方」と表記された。そして、この意がさらに転じて、現在の意となったもの。 「味方」はのちの当て字。
 ◆ 帝(みかど)
 天皇のこと。
 古くは「御門(みかど)」と書いて、皇居の「門」の尊称であった。そこから、皇居、また、朝廷を指すようになり、さらに天皇の尊称となった。 同義の漢語から「帝」と書く。
 ◆ 身から出た錆(みからでたさび)
 自分の悪行の結果として、自分自身が苦しむこと。自業自得であること。
 「身」とは刀身のことで、手入れを怠ると錆が生じ、いざというときに役に立たなくなってしまう。刀を錆びつかせたのはまさに自分の怠慢のせいで、そこからたとえていう。
 ◆ 三行半(みくだりはん)
 離縁、離婚すること。
 江戸時代に、夫から妻に対する絶縁状が三行半で書かれていたことからいうもの。当時は離縁は夫から一方的になされ、文面は今後どこに嫁ごうとも一切関知しない旨などが書かれていた。
 ◆ 御輿を担ぐ(みこしをかつぐ)
 人をおだてて祭り上げること。
 「御輿」は祭礼でご神体または御霊代(みたましろ)を乗せて運ぶ輿のことで「神輿」とも書く。その御輿をうやうやしく担ぐことからたとえていうもの。
 ◆ 微塵(みじん)
 非常に細かいもの。
 本来は仏教語で、物質を構成する単位。 物質の最小単位である極微(ごくみ)を中心に、上下四方の六方から極微が結合したきわめて小さい単位であり、そこから転じて、非常に微細なものを意味するようになった。
 ◆ 水をあける
 競争相手に大差をつけ、優位に立つこと。
 「水をあける」とは、水上で行う競技で相手を大きく引き離して、何もない水だけの空間をつくること。ボートレースならば一艇身以上、水泳ならば一身長以上の差をつけ、相手よりも先行することをいう。 そこから転じて、一般にライバルに目立って引き離す意味を表すようになった。
 ◆ 水入らず(みずいらず)
 近い親族や身内の者だけで集まっていること。「親子水入らず」「夫婦水入らず」などと用いられる。
 質が異なりしっくり溶け合わないことを「水と油」というが、油に水が入らないことに、親しいものばかりが集うことをたとえたことば。 また、親しい間柄なのによそよそしいさまを「水臭い」という。もともとは食べ物の味が薄く、水っぽいことをいったが、それが情愛が薄いことに転じて用いられたもの。
 ◆ 水掛け論(みずかけろん)
 双方が自分の主張や自説を曲げず、結論の出ないまま続く議論のこと。
 もとは、水辺でお互いに水をかけあう子供の遊びから出た言葉で、水をかけられれば、かけて返すといった具合に、きりがないことからいうもの。 また一説には、狂言『水掛聟(みずかけむこ)』の舅(しゅうと)と聟のように、互いに自分の田に少しでも多く水を引こうと争うことからきているともいわれる。
 ◆ 水商売(みずしょうばい)
 飲食店・バー・キャバレーなど、客の人気によって収入は左右しやすい職業、およびそうしたものに従事する人を指す俗語。
 語源については、収入などが客のひいきによって一定しない商売を、流れる水のように一定しないさまにたとえたとする説がある。 また、かつて芸妓が「泥水稼業」と言われていたからという説や、江戸時代に街路にあった「水茶屋」という商売から出たなどの説もある。
 ◆ 不見転(みずてん)
 後先のことを考えずに行動すること。
 手持ちの札を手当たり次第に出すことをいった。また、芸者がどんな相手でも金次第で情を売る(転ぶ)こともいう。 花札では本来「不見点」と書き、その「点」を芸者が転ぶ「転」にかけて、「不見転」と書くようになった。
 ◆ 水と油(みずとあぶら)
 互いに相性が合わないこと、または性質が正反対であること。
 水と油が混ざり合わないことにたとえていうもの。「水に油」とも。
 ◆ みすぼらしい
 身なりや物の外観が粗末で貧弱なさま。
 「み(身)」と「すぼらし」が合わさってできた語。「すぼらし」とは、細くて狭い意味の「窄(すぼ)し」の語幹に接尾語「らし」がついたもので、人の体が細くて貧弱である意味。また、「み」は「見」で見た目のことを表すともいわれている。
 ◆ 店(みせ)
 商品を陳列して商売をするところ。商店。
 動詞「見す」の名詞形「見せ」からで、見るようにさせることの意。 また、「見せ棚」の略語で、商品を並べて客に見せる棚の名から転じて、商店・商家になったともいう。近世には、遊郭で着飾った遊女が客を待つ、道路に面した格子構えの部屋のこともいった。
 ◆ 未曾有(みぞう)
 今までに一度もなかったこと。また、非常に珍しいこと。
 びっくりしたという意味のサンスクリット語「adbhuta」を漢訳した仏教用語。「未だ曾て有らず(いまだかつてあらず)」と訓読され、いまだかつてないほど・素晴らしいなどの意味で用いられていた。 「未曾有の惨事」のように悪い意味で用いることが多いが、本来はすばらしいこと、めでたいことを形容する言葉。
 ◆ 鳩尾(みぞおち)
 人間の腹の上方中央にあるへこんだ所。胸骨の剣状突起の下部。急所の一つ。きゅうび。水月(すいげつ)、心窩(しんか)ともいう。
 「みぞおち」は「水落ち(みずおち)」が変化した語。飲んだ水がおちる場所という意味。 漢字の「鳩尾」は、この部分の形が鳩の尾に似ていることから。
 ◆ 禊(みそぎ)
 罪やけがれをはらうために、川や海などで水を浴びて身を清めること。
 身体を水で洗い清めることから、「みそそぎ(身滌ぎ・身濯ぎ)」の約とされる。 「そそぎ」は「すすぎ」の母音交換系で、「すす」は洗滌(せんでき)する際の水の音を表す擬音語とされ、「すすぐ」は水で洗い清めることが原義。そこに精神面が加わって罪や穢れなどを清めるの意に転用され、また、汚名を返上するなどの意にも用いられるようになった。
 ◆ 味噌っかす(みそっかす)
 子供の遊びなどで、一人前の仲間に入れてもらえないこと。
 味噌をこし器でこしたあとに残ったかすの意で、もう価値がなく、役に立たないことからたとえていうもの。
 ◆ 身だしなみ
 人に不快感を与えないように、頭髪や服装、言葉遣いや態度などを整えること。また、その心掛け。
 「たしなみ」は、動詞「たしなむ(嗜む)」の連用形の名詞化。好みや嗜好を表すほか、以前からの心がけ、心構えなどを意味する。 これに「み(身)」がつき、その人自身に関わるたしなみの意で、「身だしなみ」という語が生まれた。
 ◆ 道草を食う(みちくさをくう)
 目的地に行く途中で寄り道をしたり、遊んだりすること。
 馬が道端の草を食べて、先に進もうとしないことからたとえていうもので、鎌倉時代の『吾妻鏡(あずまかがみ)』ですでに比喩としての記述がみられる。
 ◆ 三日天下 みっかてんか
 権力を握っている期間が、きわめて短いこと。
 戦国時代、明智光秀が本能寺で織田信長を討って天下をとったが、十数日で豊臣秀吉に討たれたことにちなむ。「三日」というのはごく短い期間のたとえにいうもの。
 ◆ 三日坊主(みっかぼうず)
 物事に飽きやすく、長続きしないこと。また、そのような人。
 「三日」とは短い期間のこと。「坊主」は僧のことだが、ここでは続かない人をあざける意を添えている。 もともと、修行に耐え切れず数日で逃げ出す出家者をいったとされ、当初は文字通り「坊主」をさしていた。
 ◆ 三つ巴の戦い(みつどもえのあらそい)
 勢力がほぼ同等の三者が入り乱れて争うこと。
 「三つ巴」は、紋所・紋様の名前で、三つの巴を同じ方向に長く尾を引くように組み合わせたもの。
 ◆ みっともない
 見た目に良くないこと。見苦しい。また外見が悪くて恥ずかしい意にも用いる。
 見たくもない意の「見とうもない」が「見ともない」、さらに「みっともない」と変化していったもの。 原義は文字通り「見たくない」の意だが、「(見たくもないほど)外見が見苦しい」の意が派生して、そちらの方が主流となった。
 ◆ 水無月(みなづき)
 旧暦の6月の異名。
 水無月の由来には諸説ある。文字通り、梅雨が明けて水が涸れてなくなる月であると解釈されることが多いが、逆に田植が終わって田んぼに水を張る必要のある月「水張月(みづはりづき)」「水月(みなづき)」であるとする説も有力である。 他に、田植という大仕事を仕終えた月「皆仕尽(みなしつき)」であるとする説、水無月の「無」は「の」という意味の連体助詞「な」であり「水の月」であるとする説などがある。
 ◆ 身代金(みのしろきん)
 誘拐犯などが、人質を解放する代わりに要求する金。
 「み」は「その人の身体、その人自身」、「しろ」はそのものの代わりのことだが、古くは代わりとしての金、代金も意味した。したがって、「みのしろ」は身代わりや人身売買の代金をさす。 「身代金」も当初は人身売買の代金の意で、近代以降になり、人質と交換する金の意になった。
 ◆ 未亡人(みぼうじん)
 夫に死なれた女性。
 古代中国では、妻は夫に殉じなければならなかった決まりがあり、夫といっしょに死ぬべきであるのに妻だけが生き残っている事を恥じる意味の言葉であったが、現在ではそういった意味はほとんどなくなっている。 本来はその女性の自称であったが、のちに、他人から指していう語になった。
 ◆ 耳を揃える(みみをそろえる)
 全額を不足なく用意すること。借金を返すときに使われることが多い。
 「耳」には、「パンの耳」のように、頭部の耳の位置からの類推で生じた縁(へり)・端の意がある。江戸時代には大判・小判の縁のことも「耳」と言ったことから、金銭を不足なく揃えるの意で使われるようになったもの。
 ◆ 耳寄り(みみより)
 聞く値打ちのあること。聞いて好ましい内容であること。
 「耳に寄りつくほど魅力的な」意とされる。
 ◆ 身も蓋もない(みもふたもない)
 表現が露骨すぎてふくみも情緒もないこと。にべもない。
 身は物を入れる容器のこと。 つまり、入れ物にも入っていなければ、蓋もされていないという意で、隠す部分が全くなく、何もかもさらけ出してる状態。 そこから、露骨すぎて情緒もない意味を表すようになった。
 ◆ 脈がある
 見込みがあること。可能性や希望がまだ残されていること。
 「脈」は脈拍のことで、本来は脈拍が絶えないで、まだ生きているという意味。そこから転じて、まだ希望がもてる、見込みがあることをいうようになった。
 ◆ 脈絡(みゃくらく)
 物事のつながり、道筋のこと。「話に脈絡がない」「説明に脈絡をつける」のように用いる。
 もとは鍼灸(しんきゅう)用語で、(血が流れている)血管のこと。
 ◆ 土産(みやげ)
 人に贈るため旅先で求めたその土地の名産の品。また、他人の家を訪問するときに持っていく贈り物。
 古くは「みあげ(見上げ)」といい、よく見て選び、人に差し上げる品物のことをいった。 また、「とさん(土産)」は、その土地の産物が本来の意で、転じて贈り物をいうようになった。 「みやげ」に「土産」の字が当てられたのは室町時代以降とされる。
 ◆ 都(みやこ)
 人の集まる大きな町。政治・経済・文化の中心地で、皇居や政府のある地。都会。
 「みや」は「み(御)+や(屋)」の意で、御殿・宮殿のことをいい、本来は神霊のいるところ、すなわち「宮」をいった。 「こ」は「処」で、ここ、そこ、いずこなどのように場所を示す接尾語。 「みやこ」は、本来は宮殿のあるところをいい、江戸時代までは京都のことをさしていた。
 ◆ 都忘れ(みやこわすれ)
 キク科の多年草。野生種であるミヤマヨメナの栽培品種で、観賞用として栽培される。開花期は5〜6月頃で花色は紫青、青、白、ピンクなど。野春菊(ノシュンギク)、東菊(アズマギク)。
 名前の由来は、承久の乱(1221年)に敗れて佐渡に流された順徳天皇が、この花を見ると都への思いを忘れられるとの話によるとされ、この由来によって花言葉は「別れ」や「しばしの憩い」などといわれる。
 ◆ 冥加(みょうが)
 気がつかないうちに授かっている神仏の加護・恩恵。冥助(みょうじょ)。冥利(みょうり)。
 「冥」は暗黒や暗闇のことで、隠れていて見聞きできないものをいい、「加」は神仏の加護のこと。
 ◆ 茗荷(みょうが)
 ショウガ科の多年草。全体に特有の香りがあり、茗荷の子とよぶ花穂や若芽を食用にし、栽培される。熱帯アジアの原産。
 「みょうが」の語源は、古名「めが」が変化したものとされる。「めが」は「芽香(めが)」の意で、芳香がよいことにちなむ。 また、大陸から生姜(しょうが)とともに持ち込まれた際、香りの強いほうを「兄香(せのか)」、弱いほうを「妹香(めのか)」と呼んだことから、これがのちに生姜・茗荷に転訛したとする説もある。 「茗荷」は当て字。
 ◆ 民主主義(みんしゅしゅぎ)
 人民が権力を持ち、その権力を自らが行使する政治形態のこと。
 英語「デモクラシー(democracy)」の訳語として、明治時代より用いられる。一国の主権が人民にあるという意味で「民主」を用いたのは、哲学者西周(あまね)が最初とされる。 デモクラシーの語源は、古代ギリシアの、「デモクラティア」(d?mokratia)で、「人民・民衆」の意味の「デモス」(demos)と、「権力・支配」の意味の「クラティア」(kratos)を組み合わせたもので、「民衆支配」、「人民権力」、「国民主権」などを意味する。
 ◆ 水を向ける(むずをむける)
 相手の関心が自分の思う方向に向くように誘いをかける。
 巫女が生霊(いきりょう)や死霊を呼び出す、いわゆる口寄せのときに、茶碗に水を入れ、樒(しきみ)の葉を浮かべて差し向けることを「水向け」といい、これから出た言葉。 それがのちに、霊を呼び出すの意が転じて、誘いかけたり、鎌をかけたりするの意になったもの。
 ◆ 見栄(みえ)
 「見栄を張る」の用法で、他人に良く見られるためにうわべを飾ること、見せかけをいう。
 「みえ」は動詞「みえる」の連用形が名詞化したもので、本来は見えることや見た目をいったが、転じて、見られる表面を飾ることの意になった。「見栄」は当て字。
 ◆ 蜜柑(みかん)
 ミカン科のの常緑小高木。また、その実。暖地に産し、葉は長楕円形。初夏、白色の小さな5弁花をつけ、黄橙色の実を結ぶ。日本でみかんと言えば、ほぼウンシュウミカン(温州みかん)の実を指す事が多い。
 「蜜」のように甘い「柑子」の意で、「柑子」は柑橘(かんきつ)類のこと。室町時代にそれまでの「柑子」ろ異なる品種が中国から渡ってきたのを「蜜柑」と呼んだものとされる。
 ◆ 「巫女(みこ)
 神に奉仕して神のことばを伝達したり、神楽などを舞ったり、祈祷をしたりする者。多くは未婚の女性。
 「巫女」は、古くは「御子」で、「御」は霊威あるものに対する畏敬を表す語。「子」は女性の意。 巫女は、神と人との中間的存在であったが、のちに神そのものの役割を果たすようになったという。神社に属して神職の補助的役割をする者と、神社の外にあって死霊や生霊の口寄せをする者とがある。
 ◆ 神輿(みこし)
 神幸のとき、神霊の乗り物とされる輿(こし)。多くは黒漆塗りの木製で、形は四角形・六角形・八角形などで、屋根に鳳凰?(ほうおう)?・葱花?(そうか)?などを飾り、台に2本の棒を貫き、大勢で担ぐ。
 もともと「みこし」は、「輿」に尊敬を表す接頭語「み(御)」がついたもので、天皇や皇子などの乗る輿をいった。古くは敬称だったが、しだいに敬称の意が薄くなり、のちに敬称は「おみこし」というようになった。
 ◆ 惨め(みじめ)
 かわいそうで見るに忍びないほどあわれなさま。いたいたしいさま。
 語構成は「見じ+目」。「じ」は打ち消し推量の助動詞で、「見じ」は「見たくない」意。「目」は「痛い目にあう」の「目」と同じで「経験」のこと。
 ◆ 水引(みずひき)
 こよりにのりを引いて干し固めた紙ひも。贈り物などの包み紙にかける飾りひもで、普通、こよりを数本合わせて、真ん中から2色に染め分ける。吉事の場合は紅と白、金と銀、金と赤など、凶事の場合は黒と白、藍と白などを用いる。
 こよりに糊水(のりみず)を引く(塗る)ことから水引というようになったとされる。また一説には、こよりを水(着色水)にひたして引きながら染めることからともいう。
 ◆ 三十日(みそか)
 月の30番目の日。転じて、月の最後の日。つごもり。「晦日」とも書く。
 「とを(10)」「はた(20)」「みそ(30)」というように、「三十」を「みそ」というところから出た語。「か」は、日にちを数える語で、しかも複数のみいう。 29日で終わる場合を「九日(くにち)みそか」、12月の場合は「おおみそか」という。
 ◆ みたらし団子
 米粉でつくった団子を竹串に刺し、軽く焼いて砂糖醤油をからめたもの。
 京都の下鴨神社に、御手洗(みたらし)詣りといって御手洗川に足をつけて無病息災を祈る行事があったが、その折、境内(糺の森)で売る団子が有名で、この行事にちなんでそれを「みたらしだんご」というようになった。
 ◆ 嬰児(みどりご)
 生まれたばかりの赤ん坊。また、3歳くらいまでの幼児のこと。古くは「みどりこ」。「緑児」とも書く。
 701年制定の『大法令』では、3歳以下の男・女児を「緑児」と称するとの規定があった。「みどりこ」のみどりは、もともと新芽や若枝の意の具体名詞であったとされ、その生命力あふれる新芽のように、生まれたばかりの児という意で用いられたと考えられる。
 ◆ 港(みなと)
 防波堤を築いたりして、船舶が安全に停泊できるように整えた施設。もとは、船の出入りする河口や入り込んだ湾や海峡など、船の停泊に適した所をいった。
 「みなと」は「水の門」の意で、古く『古事記』や『日本書紀』では「水門」の字が使われている。「港」の字はのちの用字。 「みなと」の「み」は水、「な」は「の」の意の格助詞。「と」は「せと(瀬戸)」「かはと(川門)」の「と」と同様、陸と陸の間の出入り口をいった。
 ◆ 味醂(みりん)
 焼酎(しょうちゅう)に蒸した糯米?(もちごめ)?を混ぜ、米麹?(こめこうじ)?を加えてつくった混成酒。現在は調味料として用いるが、古くは飲用された。
 味醂は、中国の密淋(みいりん)という酒が戦国時代に日本に入り、製法が改良されたものが由来とされる。密淋とは、蜜のような甘い淋(したた)りの意の漢語。 当時は、みりん酎(ちゅう)・みりん酒といわれ、密林・美琳などとも表記されたが、明治以降は味淋・味醂が常用された。味醂は当て字。

  *** む ***

 ◆ 無残(むざん)
 むごたらしく、痛ましいこと。
 本来は仏教語で、「無慙」「無慚」と書き、罪を犯しながら、自らを省みて恥じないことをいう。「慙」は恥ずかしく思う意で、「慚」は異体字。転じて、残酷なこと、さらに残酷な状態にあって痛ましい意味となり、「無残」または「無惨」を当てて用いられるようになった。
 ◆ 虫が好かない
 なんとなく気に入らない。好きになれない。
 昔の人は、体の中に九匹の虫が住んでいて、その虫によって病気になったり、怒りっぽくなったりするのだと考えられていた(三尸九虫)。 この虫の仕業ということで、他にも「虫の知らせ」「虫の居所が悪い」「腹の虫がおさまらない」などのように、「虫」に待つわる多数の言い回しがある。
 ◆ 虫酸が走る(むしずがはしる)
 吐き気がするほど不快である。
 「虫酸」は本来は「虫唾」と書き、胃病などで胃から口に逆流する酸っぱい液のこと。体の中の虫が出す唾液を意味する。「むしず」の「ず」は本来「づ」で「唾」の意味の「つ」の濁音化。
 ◆ むしゃくしゃ
 いらいらしたり、腹が立ったりして、気持ちが晴れない。
 「むさくさ」が転じた言葉で、「むさ」は汚らしい、「くさ」は臭いの意味。両方を合わせて、むさ苦しいの意味で、そこから、転じて、胸くそ悪い、気持ちが晴れない意味へと転じたとされる。
 ◆ 矛盾(むじゅん)
 論理的に2つのことの辻褄が合わないこと。
 昔、中国礎の国に、矛(ほこ)と盾(たて)を売る者がいて、「この矛はどんな盾でも突き通すことができ、またこの盾はどんな矛も通さない」と言ったところ、「それではその矛でその盾を突いたらどうなるか」と問われ、返事ができなくなったという、『韓非子(かんぴし)』にある故事にちなむ。
 ◆ 睦月(むつき)
 旧暦の1月の異名。
 睦月という名前の由来には諸説ある。最も有力なのは、新年を迎え、親族一同集って宴をする「睦び月(むつびつき)」の意であるとするものである。 他に、「元つ月(もとつつき)」「萌月(もゆつき)」「生月(うむつき)」などの説がある。
 ◆ 無鉄砲(むてっぽう)
 あと先のことをよく考えず強引に行動すること。
 「無鉄砲」は、鉄砲玉のように一気に突き進むという意味合いから用いた当て字。 語源は、「むてほう(無手法)」の音が変化したもの。「無手法」は、手に何も持たない、特別な技芸を持たないことで、何の手段もなく行うことをいう。そこから、後先考えずに一気に行動する意となった。 また他には、漢文に訓点が付されていないことをいう「むてんぽう(無点法)」の変化で、漢文が訓点が施されていないことで、それでは読みにくいことから、理解しがたい、明確でない意味へと変化したとする説もある。
 ◆ 胸突き八丁(むなつきはっちょう)
 山頂付近の険しい登り道。転じて、物事を成し遂げるのに一番苦しい時期、正念場のたとえ。
 「胸突き」は、山や坂などのけわしく急なところ。 もとは、富士山頂で、頂上まであと八丁(約872メートル)の最後の険しい登り道をいった。 それが他の山についても用いられ、さらに転じて、物事の大詰めの一番苦しい局面の意で用いられるようになったもの。
 ◆ 村八分(むらはちぶ)
 仲間はずれ。疎外すること。
 もとは、江戸時代に、村のおきてを破った者とその家族に対して村全体で行われた私的制裁。 「八分」とは、10のしきたり(冠、婚、葬、建築、病気、火事、水害、旅行、出産、年忌)のうち、葬式と火事を除いて、それ以外の交際を絶つことからいう。
 ◆ 胸を借りる
 実力の下のものが、強い相手に対し、積極的に挑戦すること。
 本来は、相撲で下位の力士が上位の力士にぶつかり稽古の相手をしてもらうことをいう。
 ◆ 息子(むすこ)
 親から見て、男の子ども。
 語源は「生す子(むすこ)」が変化したもの。漢字の「息(そく)」も同義。 本来は男女どちらも指しうる言葉であるが、女の子ども場合は「生す」に女性を表す「め」をつけて「むすめ」という。
 ◆ ムキになる
 ちょっとしたことで腹を立てたり、本気になったりすること。
 「むき」は「向き」で、向くことの意味。相手の方を向く、立ち向かう意味合いからいうもの。
 ◆ 無尽蔵(むじんぞう)
 いくら取っても無くならないほど豊富なこと。
 本来は仏教語で、尽きることのない財宝を納めた蔵を意味し、仏法が無限の功徳を有することをたとえた語として用いられていた。 また別に、寺の中にある金融機関を「無尽蔵」ともいった。そこでは、金銭を蓄えて飢饉の貧民救済にあてたり、伽藍の修復の資金などとしていた。そこから、「無尽蔵」の語が一般にも広まり、いくら取っても無くならないことを表すようになった。
 ◆ 昔取った杵柄(むかしとったきねづか)
 過去に鍛えた腕前や、若いころに身につけた技能。
 「杵」は、餅を臼(うす)でつく時に使う道具。「柄」は杵の握る部分のこと。 昔は年の暮れに正月を無事に迎えるために家で餅をついた。杵を握るのは一家の主人であるが、年をとって隠居の身であっても、改めて杵をとれば、すぐに若いころに磨いた腕前を発揮できたことから、かつて身についた自信のある技能の意になった。
 ◆ 虫の知らせ
 よくないことが起こりそうであると感じること。悪い予感。
 古くは、人体に虫が棲んでいて身体や感情にさまざまな影響を与えられると信じられていたことにちなむ。
 ◆ 難しい(むずかしい)
 難解である。対処するのがやっかいである。容易でない。
 本来の語形は「むつかし」。動詞「むつかる」の形容詞形で、「不愉快だ、うっとうしい、煩わしい」という感情を表すのが原義。 そこから、そういう感情を抱かせるような事態そのものをいうようになった
 ◆ 虫がいい
 自分に都合のいいことばかり考えて、身勝手な様子。ずうずうしい。「虫がよい」ともいう。
 「虫の居所が悪い」や「虫が好かない」の「虫」は。本能的な感情を呼び起こす心の核になるものであり、それを人間の体内に存在する寄生虫の仕業と考えられていた。そこから「虫がいい」は、欲望のおもむくままがいいということになり、自分に都合よく他を顧みず、身勝手であるという意味になった。
 ◆ 蝕む(むしばむ)
 病気などで、身体や精神を少しずつ損なう。
 「むし(虫)+はむ」が語源。「はむ」は「食う・口に入れて噛む」の意を表す古語。「はむ」が連濁した「むしばむ」の形で虫が食うの意を表し、古くは、紙や布などが虫食いになる場合に用いられていた。 近代以降、虫が食うように少しずつ身体や精神をおかすの意で使われるようになった。
 ◆ 無茶(むちゃ)
 筋道の立たないこと。度を越していること。また、そのさま。
 「無茶」の語源については、無限定なものや無為という意の仏教語の「無作(むさ)」から出たという説がある。また、それとは別に、仏教語「無作」から出て、中世から近世にかけて使われた、いいかげんなさまの意の「むさと(むざと)」の「むさ」が転じたものとする説もある。 「無茶」は当て字。「むちゃくちゃ(無茶苦茶)」は強調語。
 ◆ 無理やり(むりやり)
 筋が通らないと知りながら、強引に行うさま。
 語構成は「無理」+「遣(や)り」。「無理」は漢語で、道理に外れていること。「遣り」は動詞「遣る」の連用形で、何か事をなすこと。 なお動詞「遣る」は、本来は人を派遣したり物を送ったりする意だが、中世ごろから、何か事を行うの意でも使われるようになった。

  *** め ***

 ◆ 目一杯(めいっぱい)
 最高限度まで。精一杯。
 「目」は、はかりの目盛りのことで、「目一杯」は目盛りギリギリいっぱいまでという意味。はかり売りの場合、売り手はできれば少なく、買い手は少しでも多く、というわけで、両者の心理的な駆け引きがうかがえる。
 ◆ 妾(めかけ)
 本妻のほかに、養い愛している女性。
 語源は、「目を掛ける」の意からで、古くは「目掛」とも書いた。現在は同じ意味の漢語から「妾」と当てている。
 ◆ 目から鱗が落ちる
 あることをきっかけに、迷いからさめたり、物事の実態がわかるようになる。略して「目からうろこ」とも。
 『新約聖書』の「使徒行伝(しとぎょうでん)」第9章によるもので、キリストの信者を迫害しようとしたパウロは天からの光で失明するが、弟子の一人が来てパウロに手を置くと、たちまち目から鱗のようなものが落ちて、元通り見えるようになったという。 もともとは、誤りを悟り迷いから覚める意味で( めくじらをたてる)
 他人のあらさがしをする。欠点を取り立てて非難する。
 「目くじら」とは目の端、目尻(めじり)のことで、「目くじり」とも言う。この「目くじり」が変化して「目くじら」になったと考えられるている。 「くじら」は物の隅という意味の古語ともいわれており、口の尻で、物の両端、つまり物の隅という意味で、「鯨(くじら)」とは無関係。 目くじらを立てる、つまり目尻を吊り上げている状態は、最初怒った表情を意味し、それがいつしか責めたりとがめる意味へと変化していった。
 ◆ 滅相もない(めっそうもない)
 とんでもない。あるべきことではない。また、相手の言を否定するときにも用いる。
 仏教で、万物が生滅変化する4つの段階を四相(生相・住相・異相・滅相)といい、その1つの「滅相」は因縁によって生じた一切の存在を過去の存在として滅し去る、心身が消滅する意。そこから、とんでもない意で「滅相な」「滅相もない」のようにいう。
 ◆ 滅法(めっぽう)
 並みの程度でないさま。はなはだしく。
 本来は仏教語で、因縁によって作らたものではない絶対的な真理、無為法のこと。絶対的なものであり究極的なものであることから、この上なく程度が甚だしい意味へと転じた。
 ◆ 目処が立つ(めどがたつ)
 実現・解決などの見通しがつくこと。
語源は「メ(目)+ド(処)」。つまり「目指
 ◆ 目鼻が付く(めはながつく)
 おおよそ出来上がる。また、見通しがつくこと。
 似顔絵を描いたり、人形をつくったりする場合、顔を構成する重要な目や鼻をつける段階になると、いよいよ全体が整い完成が近くなる。 そこから、一般に大筋が決まるという意味を表すようになった。
 ◆ 目安(めやす)
 目当て。目標。基準。
 平安時代には見た目に感じがよいことの意で用いられていたが、のちに、文章を読みやすくするために箇条書きにすること、また、その文章のことをいうようになり、転じて、目当て、目標の意味で用いられるようになった。
 ◆ 目が点になる
 驚きあきれ返った表情になることをいう。
 1970年(昭和45年)、漫画家の谷岡ヤスジが自作の漫画の中で、目を点のように描いて驚きの表情を表した。その表現方法をジャズ・ピアニストの山下洋輔がそのまま「目が点になる」と言葉にしたとされる。
 ◆ めかす
 身なりを飾りたてる。おしゃれをする。
 「冗談めかす」「ほのめかす」のように、名詞などについて、そのように見せかける意の接尾語「めかす」が独立して動詞となった語。 外見を取り繕う意から転じて用いられるようになったもので、非難やからかいの気持ちでいうことが多い。 「めかし」は名詞として、「おめかしをする」のようにも使われる。
 ◆ 迷惑(めいわ)く
 他人の行為で不快に思ったり、煩わしたを感じたりすること。
 本来は仏教語で、漢字で「迷惑」と書くように迷い惑うことで、どうしていいかわからなくなることを意味した。 当初は原因が自分の行為でも他人の行為でも使われていたが、しだいに、他人の行為によって自分がどうしていいかわからなくなって困惑する意味になり、さらに現在では、主に自分に不快なことや気分をいうようになった。
 ◆ 目配せ(めくばせ)
 目を動かして、意思を伝えたり合図をしたりすること。目くばせ。
 目配せは、古語の「めくわす(目食はす)」に由来する。「食はす」は、「合わせる・一体化する」という意味で、一方が瞼(まぶた)の上下を合わせ(まばたきして)、もう一方の相手に意志を伝えるということ。 この「めくわす」から「めくわせ」、そして「めくばせ」と変化したとされる。 「目配せ」と書くのは当て字。
 ◆ 迷宮入り(めいきゅういり)
 犯罪事件などでで、犯人不明のまま捜査打ち切りとなること。お宮入り。
 「迷宮」とは、中に入ると出口がわからなくなるような複雑な建物であり、古代クレタ島クノッソスにあったLabyrinthの訳語。解決の出口に向かって迷うさまを比喩的にいう言葉。
 ◆ 眼鏡(めがね)
 近視・遠視・乱視などの視力を調整したり、目を保護したり、あるいは着飾ったりするために、目の周辺に装着する器具のこと。
 「めがね」は、眼のさしがね(物差し)、つまり、ものごとを物差しのように正確に把握することが語源のようで、この意から視力を補正してよく見えるようにするものをさすようになったとされる。
 ◆ 目刺し(めざし)
 塩をふったイワシに、目から下あごへ竹串やワラを通して数匹ずつ束ね、干した干物。通常はそのままではなく、焼いて食べる。
 目を刺すことから「めざし」と言ったもので、メザシイワシともいう。
 ◆ 目白押し(めじろおし)
 人が混み合って押し合うさま。また、多くのものが先を争ってその場所に並ぶことなどをもいう。
 「目白押し」とは鳥の目白が木の枝に押し合うように集まる習性からのたとえ。
 ◆ 珍しい(めずらしい)
 めったになくて貴重である。稀であること。
 本来の語形は「めづらし」で、「賞美する、愛する」意の動詞「めづ(愛づ)」の形容詞形。 原義は「好ましくて、もっと見ていたい」という気持ちを表し、稀なことを示す場合も「稀なものを見れて嬉しい」のように、重点はあくまで好感を示すことにあるのが本来の用法。 そこからしだいに、「例がない」など単に稀であることをいうようになった。
 ◆ 目高(めだか)
 メダカ科の淡水魚。平野部の小川や池沼、水田にすみ、群泳する。全長3、4センチ。飼育が簡単なため、キンギョ同様、観賞魚として古くから日本人に親しまれてきた。
 メダカは目の大きな魚で、その目が体の先の方の高い位置にあることからこの名があるという。 メダカは日本各地に広く分布し、身近で親しまれており、地方ごとの差によって数千もの呼び名があり、最も方言名の多い語とされる。
 ◆ 目処(めど)
 目指すところ。目当て。また、物事の見通し。
 「めど」の語源は、植物の「蓍萩(めどはぎ)」からとされる。 易(えき)で使う細い棒の束を筮竹(ぜいちく)というが、古くはそれに蓍萩の茎を用いたことから、これを「めど」とも言い、さらに、占いのことも「めど」と言う場合もあった。 占いは、将来の事柄を判断して人に指針を与えるものであることから、転じて、「めあて、目標」を意味するようになったとされる。
 ◆ 目には目を
 ハムラビ法典にある言葉。「目には目を、歯には歯を」と続く。受けた害に対して、同等の仕打ちをもって報いること。
 やられたらやり返せという復讐を認める内容だと誤解されることが多いが、実際は、それ以上してはいけないという復讐を制限する内容。 犯罪行為とそれに対する刑罰をあらかじめ規定する近代的な罪刑法定主義の精神が認められ、刑法学史上、重要な言葉とされる。
 ◆ メバル
 フサカサゴ科の海水魚。沿岸の岩礁にすむ。全長約30センチ。体は長卵形で側扁し、目が大きい。体色はすむ場所の深さによって変化に富み、赤メバル・黒メバル・金メバルなどともよばれる。眼張。
 目が大きく、目が体から張り出すようについていることから、メバルと呼ばれるようになった。
 ◆ 目星をつける(めぼしをつける)
 見当をつける。目標とするところを決める。
 「目星」は古くは「目印」と同じ意味で用いられた。「ほし」が「印」の意をもつのは、的の中央につける黒い印から転じたもの。 「印をつける」の意から、「見当をつける」の意に転じた。 「目星をつける」は、おもに近代になって使われるようになった表現。
 ◆ メリヤス
 肌着などに用いる伸縮性に優れた編み物。日本には16世紀後半から17世紀後半に伝えられ、「莫大小」「女利安」などの字が当てられた。ニットとも。
 メリヤスの語源は、スペイン語のmediasまたはポルトガル語のmeiasが転訛したもので、いずれも靴下の意。 「莫大小」と当て字されるが、これは伸び
 ◆ メロドラマ
 恋愛をテーマにした、感傷的な演劇・映画・テレビドラマのこと。
 英語のmelodramaからの外来語。フランス語から英語に伝わった語で、さかのぼれば、ギリシャ語で「歌」を意味するmelosと「劇」をさすdramaに分けられる。したがって、メロドラマは本来は、歌謡や音楽の伴奏を多用する娯楽劇をさしていた。
 ◆ 面食らう(めんくらう)
 突然のことに慌てふためく。狼狽する。
 面食らうとは「橡麺棒(とちめんぼう)を食らう」の略とされる。 橡麺棒(栃麺棒)は栃の実を小麦粉などに混ぜて麺をつくるときに使う棒のこと。栃の実を粉にして練り込んだものは固まるのが早いので、急いで麺棒をふるう必要があった。 栃麺を打つ時の急いで慌てるような様子を「狼狽する」の意を表す「とちめく」に掛けて、「橡麺棒を食らう」の形で狼狽する事態にあうの意を表すようになり、さらに、これを略して「面食らう」となった。
 ◆ 明太子(めんたいこ)
 スケトウダラの卵を塩漬けにして、それに唐辛子を加えて漬け込んだ食品。
 スケトウダラのことを中国語でミンタイユ(明太魚)といい、朝鮮に入ってミョンテ(明太)となった。それが日本に入って「めんたい」と発音され、その卵という意味で「こ(子)」を付けたもの。 「明太子」はもともとタラコの意味で、加工した食品は「辛子明太子」といったが、後者を単に「明太子」というようになった。
 ◆ メンチカツ
 豚肉や牛肉の挽肉に、タマネギのみじん切り・調味料を混ぜて練り合わせ、小判型にして、小麦粉・溶き卵・パン粉をつけて油で揚げた料理。ミンチカツともいう。
 メンチは、挽肉を意味する英語minceがミンス→ミンチ→メンチと転じたもの。カツは、英語cutletに基づくカツレツの省略形。 焼く前のハンバーグに衣をつけて揚げ物にした形であるが、日本で生まれた料理で、ミンチカツもメンチカツも和製英語である。
 ◆ 面子(めんつ)
 「体面、面目」のこと。また、マージャンを行うためのメンバー。転じて、会合などの顔ぶれ。
 面子は、近代以降に中国語から発音とともに取り入れたもの。中国語では本来「顔、容貌」の意。 「子」は名詞に添える助詞で、中国語で「鼻」のことを「鼻子」と言うのと同じく、ほとんど意味はない。
 ◆ メンマ
 中国産の麻竹(まちく)の竹の子をゆで、発酵させてから乾燥した食品。ラーメンにのせるのが一般的だが、そのまま酒肴にもする。
 語源については諸説あり、麺にのせる麻竹なので「麺麻」と呼ぶ説や、麺の具を意味する中国語の「麺碼児(ミエンマール)」が変化したという説などがある。 中国では乾筍(カンスン)と呼ばれる。 かつては「支那竹(しなちく)」といったが、戦後になってメンマの名が広まった。
 ◆ 名刺(めいし)
 氏名・住所・勤務先・身分などを記した長方形の小形の紙札。
 昔、中国では、竹や木を削って姓名を書き込んだものを「刺」といい、その名札のことを「名刺」といったことによる。
 ◆ めでたい
 喜び祝うこと。喜ばしい。お人よしである。
 「めで」+「いたし」の「めでいたし」の音変化したもの。「めで」は賞賛する意の動詞「愛(め)ず」の連用形、「いたし」は程度のはなはだしいことを示す形容詞で、「愛でる(賞賛する)以外ないほどすばらしい」の意。 現代語では慶賀の意に使われることが多いが、本来は賞賛に値する状態をもっと広くさす語であった。 「目出度い」「芽出度い」は当て字。
 ◆ 目眩(めまい)
 目が回ったり、くらんだりすること。
 古くは「めまひ」という語形で、「め」は目のこと、「まひ」は回転する意の動詞「まふ(回)」の連用名刺。すなわち、「めまひ」とは目が回ることを表す。

  *** も ***

 ◆ 申し子(もうしご)
 ある社会や文化、思考などの特性を反省する形で現れた存在。
 「申し子」とは、本来は神仏に祈って授かった子の意。 「申す」の連用形+「子}で、申すは「言う」の謙譲語だが、神仏に祈願する意の謙譲表現としても用いられる。 神仏に願って授かったという意味から、霊力を持つものから生まれた子の意が生じ、その社会や文化などの特性を反映する存在も意味するようになった。
 ◆ 孟宗竹(もうそうちく)
 イネ科の多年草。中国原産。タケノコを採るために、日本でも広く栽培されている。「モウソウダケ」ともいう。
 「孟宗竹」の名前は、三国時代の呉の人物、孟宗に由来する。 三国時代に、母親が寒中にタケノコを食べたいと言ったので、孟宗が出かけたところ、孝行の徳によってタケノコを得ることができたという故事にちなむ。
 ◆ モーグル
 スキーのフリースタイル競技の一つで、コブ(凹凸)が深く急な斜面を滑走し、速さと技を競う。
 モーグルの語源は、ノルウェー語のMogulで、雪のコブという意味。
 ◆ もぐら
 モグラ科の哺乳類の総称。体には毛が密に生え、尾と前後肢が短い。前肢の爪は硬くて鋭く、土を掘るのに適している。耳介がなく、眼は退化して小さく視力はほとんどない。
 土を高くもり上げる意の「穿ぐろもつ」の名詞形「うぐろもち」が「うぐらもち」「むぐらもち」と変化し、「もち」が省略されて、さらに「むぐら」「もぐら」へと変化したとされる。 漢字では「土竜」「?鼠」と書く。
 ◆ もしもし
 人に呼びかけるときにいう言葉。特に電話での呼び出しに使われる。
 もしもしは、「申し(もうし)」を連ねて短縮された言葉で、電話で話し始める前に「これから話をします」という意味で、「申します、申します」あるいは「申す、申す」と言っていたのが、「もしもし」に変化していった。 日本で初めて電話交換業務が行われたのは、1890年(明治23年)12月16日の東京・横浜間で、このときに電話を所有できたのは、高級官僚や実業家などだったため、「もしもし」ではなく「おいおい」と呼びかけ、「はい、ようござんす」と返答されていた。 電話の呼びかけに「もしもし」が使われるようになったのは、電話交換手が中継ぎをしていた為、繋ぐ相手に失礼とならないように「申し上げます」と言っていたことによる。
 ◆ もつ
 料理に用いる鳥獣の内蔵のこと。
 「ぞうもつ(臓物)」を略したもので、食肉業者や料理人の間で使われていた隠語が広く一般に使われるようになったとされる。
 ◆ もっけの幸い(もっけのさいわい)
 思いがけなく手に入れた幸運のこと。
 「もっけ」とは妖怪のこと。平安時代には、人にとりついて祟りをもたらす死霊や生霊を「もののけ(物の怪)」といい、それが「もっけ(勿怪)」と変化した。 室町時代になると、妖怪の出現は思いもよらないことから、思いがけないこと、予期しないことへと意味が転じた。もとは不吉なことをいったが、しだいによい意味で「もっけの幸い」のように用いられるようになった。
 ◆ もったいない
 有用なのにそのままにしておいたり、むだにしてしまったりするのが惜しい。また、身に過ぎておそれ多いこと。
 「もったい」は「勿体」と書き、物のあるべき姿の意の漢語「物体(もったい)」に基づく和製漢語。それに「ない」がついて、あるべきさまを外れていて不都合である、もってのほかというのが、本来の意味。 それが転じて、自分にとっては身に過ぎる、また、物事の価値が十分に生かされていなくて惜しい意味となった。 室町時代から用いられ、のちに、「勿体」はありさまや態度がいかにも物々しい意で、「勿体をつける」「勿体ぶる」のようにも用いられるようになった。
 ◆ 元の鞘に収まる
 一度別れたり、仲違いした者が、またもとの親しい間柄に戻ること。特に、夫婦や恋人同士についていうことが多い。「元サヤ」とも。
 「鞘」とは、刀や剣などの刀身の部分をおさめておく筒のことで、抜かれた刀が本来収まっている鞘に戻ることからいうもので、江戸時代から使われている言葉。
 ◆ 元の木阿弥(もとのもくあみ)
 いったんよくなったものが、再びもとの状態に戻ること。
 一説に、戦国時代の武将、筒井順昭(つついじゅんしょう)が病死したときに、跡継ぎの順慶(じゅんけい)は1歳とまだ若く、順昭の遺言で3年間死去が伏せられた。その間、順昭に姿や声の似ていた影武者の木阿弥を身代わりとし、病気と偽って寝室に置いた。 3年後に死去が公表され、葬儀が行われると、木阿弥は役目を終えて元の生活に戻ったという故事によるとされる。
 ◆ 最中(もなか)
 もち米の粉を水で練って薄く焼いた皮を2枚合わせて、間にあんを挟んだ和菓子。
 「最中」は、「真中(まなか)」「御中(みなか)」と同じ意。 平安時代、宮中で月見の宴の折、丸い白餅が出され、名を聞くとその座にいた者一同が「最中の月」と答えたという。 以来、中秋の名月に見立てた菓子を「最中の月」と呼ぶようになった。 江戸時代になって、江戸吉原の貸家が満月をかたどった煎餅(せんべい)のようなものを「真中の月」の名で売り出し、これが略されて「最中」というようになった。 最中が現在のような菓子となったのは明治時代になってからのこと。
 ◆ もぬけの殻(もぬけのから)
 ひとが逃げ去ったあとの寝床や住居のこと。蛻の殻。
 「もぬけ(蛻)」は動詞「もぬける」の名詞形で、ヘビやセミなどが成長の途中で変化し、脱皮すること。 つまり、「もぬけの殻」とは、脱皮したあとの抜け殻のことをいう。
 ◆ モノマネ
 人間や動物の声や仕草、様々な音、様々な様子や状態を真似すること。また、それをする芸。物真似。
 「モノマネ」という言葉は、『源氏物語』に「ものまねび(物学び)」として出てくるほど古い語である。 一説には、武内宿禰の弟が影武者(壱岐直)の祖、真根子を利用したことに由来するともいわれている。
 ◆ 紅葉(もみじ)
 カエデ科の落葉高木の総称。葉は多くは手のひら状に裂けていて、秋に紅葉または黄葉する。
 歴史的仮名遣いは「もみぢ」。 木の葉が紅は黄に色づくことを、色を揉みだす意で「もみつ」といい、その連用形「もみち」が名詞化したもの。平安時代ごろに「もみぢ」と濁音化した。 また、「揉み出づ」の略ともされる。 「黄葉」とも書くが、「紅葉」とともに漢語からの当て字で、「こうよう」とも読む。
 ◆ もやし
 大豆や緑豆、麦などの種子を水に浸し、光を当てずに発芽・軟白させたもの。
 芽を出させる意の動詞「萌やす」の連用形「萌やし」が名詞化した語。
 ◆ 門外漢(もんがいかん)
 その道の専門でない人。また、部外者のこと。
 「門外」とは門の外。すなわち、外部・専門外の意味。 「漢」は男性の意で、「悪漢」「熱血漢」「大食漢」のように用いる。
 ◆ もんじゃ焼き
 小麦粉をゆるく溶いてウスターソースを加えた生地にキャベツなどの具を混ぜて鉄板の上で焼いたもの。へらでこそげとるようにして食べる。東京・月島の名物料理となっている。
 「もんじゃ」は「文字(もんじ)」が変化したもので、鉄板に溶いた小麦粉で文字を書いて遊んだことに由来する。 太鼓を鳴らして屋台で売りにきたので、どんどん焼きともいう。
 ◆ 門前払い(もんぜんばらい)
 面会せずに、訪問者を追い返すこと。
 もとは、江戸時代に罪人を奉公所の門前から追放するだけの、最も軽い刑罰のことだった。厄介払いのような形で、一方的に門前から追い払うことから、軽くあしらうことのたとえに使われるようになった。
 ◆ 模造紙(もぞうし)
 化学パルプを原料とする上質の洋紙で、製図や掲示物の作成、小学校での自由研究の発表などに用いられる。
 1878年、明治政府は三椏(みつまた)を原料とする大蔵省印刷局特製の局紙を、パリ大博覧会に出品して高い評価を受けた。 この紙をオーストリアの製紙業者が化学パルプを原料にして模造した。それが日本に逆輸入され、日本でさらにこれを模造したことが名称の由来。 この紙は、地方によって特徴的な呼び名があり、山形県では大判用紙、愛知拳・岐阜県ではB紙、新潟県では大洋紙、愛媛県・香川県では鳥の子用紙、九州では広用紙、などと呼ばれる。
 ◆ 持ち切り(もちきり)
 同じ話題やうわさが、ある期間中ずっと続くこと。
 動詞「持ち切る」の連用形が名詞化したもの。 「持つ」は保たれるの意、「切る」は動詞の連用形に付いて、「し終える」「し通す」の意を表す。したがって、「持ち切る」で、始めから終わりまで同じ状態が続く、終始するの意となる。 つまり「持ち切り」は、終わりまで同じ状態で続くことの意であるが、とくに話題がしばらくの間ある事に集中するの意で使われることが多い。
 ◆ 元も子もない
 すべてを失って何もないこと。
 「元」は元金、「子」は利子のこと。それが「ない」ということなので、投資した元金も、その利子もすべてないという意味。そこから、一般に利益などを全部失うたとえとして用いられるようになった。
 ◆ 木綿(もめん)
 綿(わた)の種子から取れる繊維。コットン。または木綿糸の略。
 漢語の「木綿(もくめん)」は、「きわた」、すなわち綿の種のまわりにできる白い毛綿をさす。この「もくめん」の音が転じて「もめん」となり、さらに糸や布をさすようになった。
 ◆ 紋切り型(もんきりがた)
 きまりきった型。かたどおりで新味のないこと。
 本来は、文字通り紋の形を切り抜くための型をさす語であったが、そこから「お定まりのこと」「型にはまったやり方」を表すようになった。 古くは「型通り」の意味しかなかったが、近年では「融通が効かない」といった悪いニュアンスが含まれるようになった。
 ◆ 悶着(もんちゃく)
 考えなどが合わず。物事がもつれてもめること。多くは「一悶着」の形で使われる。
 「悶」は気がふさぐこと、「着」はくっついて離れないの意で、中国では「悶着」は「不愉快な気分が続く」意を表す。 それが日本では、「嫌な感じ」の意が、互いの感情のもつれや意見の食い違いから起こる争いやもめごとの意に転じた。
 ◆ もどかしい
 思うようにならず、じれったい。はがゆい。
 「もどかしい」とは、動詞「もど(擬)く」が形容詞化したもの。 「もどく」は、「他と張り合って真似をする」、または「他と対立して相手を非難する」の意を示す。「もどかしい」は後者の意味の「もどく」を形容詞化したもので、「非難したい気持ちだ」というのが本来の意味。そこから、いらついた感情一般をさすようになり、「いらだたしい」「じれったい」という意味になった。
 ◆ 物差し(ものさし)
 物の長さを測る道具。竹・鉄・プラスチック製などがあり、長さの単位の目盛りがつけてある。
 物の長さを差しはかることから、「ものさし」という。
 ◆ 紅葉おろし(もみじおろし)
 大根の断面に穴を空け、唐辛子を差し込んで一緒におろしたもの。また、大根おろしとにんじんおろしを合わせたもの。
 赤唐辛子の紅色が鮮やかに映えるので、紅葉にたとえて「紅葉おろし」と呼ばれる。